「今度、紹介したい人がいます」
そう、兄は笑った。
一度も訪れたことのないあの人のお墓の前に立って。
とても、すっきりした顔でそう告げた。
なんとなく、意外ではないと思った。
何故なら、兄があの人のお墓の前に立っているから。
そして、笑っているから。
「そう、どんな人かしら」
私が聞くと、兄は少し考えるように目を細めた。
そして、少しだけ、まるで思い出してかみ締めるかのように目を伏せて笑う。
「真夏に咲く花のような、子ですよ」
兄らしい皮肉だった。
一年中冬のようなケテルブルグから私は出たことがない。
だから、夏の花はおろか、真夏なんて体験したこともない。
本でならば何十回も見たことある夏の花も、私は直接見たことないはないというのに。
それにしても、子――つまりは子供。
それは、とても意外だった。
どうやってその真夏に咲く花のような子は、兄の心を溶かしたのだろうか。
こわばった表情をほぐしたのだろうか。
きっと、ひどく苦労しただろうに。
「いつ、紹介してくれるの?」
まるで、幼い子供のような口調で聞いた。
すると、兄は少し考えて、こう答えた。
「真冬に――最も雪深い日に来ますよ」
真夏に咲く花
真冬の、最も雪深い日だった。
正確には本当に最も雪深いかはわからなかったものの、その日はとにかく雪が私が知る限りでもかなり降り積もり、街を白く染めていた。
そんな日に、兄は彼を連れてきた。
彼は雪のせいかフードを深く被っていたので最初は顔がわからず兄が紹介したい人がわからなかった。
しかし、フードをとってすぐ、私は理解した。
ああ、この人が。
夏の空とは彼の瞳のような色をしているのだろう。
夏の太陽とは彼の髪のごとく眩しく輝いているのだろう。
彼とは、そんな印象を持たせるような容姿の――青年だった。
若いが、子と呼ぶには少々年上の彼は、落ち着かない表情でこちらを見ていた。
もっと幼いかと思っていた私は意外に思いながらも受け入れる。
そう、彼が、きっと兄の。
「初めまして、ガイラルディア・ガラン・ガルディオスと申します」
「ええ、兄に聞いています」
兄が、いつもと変わらぬ口調で彼を促した。
私が会釈し、挨拶すると彼もまた、緊張しながらも挨拶してくる。
一見は普通の青年だったが、その挨拶の仕方や仕草の優雅さから彼の育ちの良さがわかった。
もしかしたら、貴族なのかもしれない。
かちこちに緊張したように挨拶をする彼は、ひどく微笑ましい。
緊張しなくてもいいですよと告げてみると
「こんなに美しい女性の前で緊張しない方が無理です」
そんな風にさらりと答えられた。
一瞬、口説かれたのかと思ったが、彼の言葉にも態度にも特に邪気はない。
どころか、兄に「おや、では私の前でも緊張しますか?」と聞かれ、呆れている。
「やめてくれ……あんたとネフリーさんでは全然違うだろ」
「ネフリーと私はよくにた兄妹だと言われますよ?」
「それでも女性と男じゃ全然違う!」
「ネフリー、気をつけるんですよ。彼は天然で女性を口説きますから」
「あらあら、どうしましょう」
「やめてくれって!!」
慌てる彼に兄は楽しそうに笑う。
取り繕ったものでも、愛想笑いでもない笑顔。
兄はいつからそんな顔をするようになったのだろうか。
私の知る兄の表情は、それこそ感情を消したかのような無表情か、それとも貼り付けたような作り笑いだった。
しかし、今の兄の表情は、そのどちらでもない。
ただ、ただ優しい。
その笑顔は、恐らく彼が引き出したのだろう。
「誤解しないでくださいね」
ほんのり顔を赤くしながら弁解するその顔にもう緊張はなかった。
たぶん、兄がからかったのは半分は緊張を解す為だったのだろう。
短い金髪を掻きながら恥ずかしいところを見せたと呟く。
お互いのことをある程度知っていたせいか、特別な自己紹介もしなかった。
他愛もない雑談のような流れになってきた頃、兄はそっと、青年の手を握る。
それはあまりにも突然の動きで、彼は硬直した。
「私の恋人です」
驚いて口を開こうとした瞬間、兄は言った。
「ジェッ!?」
まさに、絶句というのはこういうものなのだろう。
顔を引きつらせたまま青年は動かなくなってしまった。
兄は、特別変わったことでもないように自然に振舞う。
「ああ、やっぱり」
私はやはり兄と同じように特別変わったこともないように自然に答えた。
青年の顔が驚くほど引きつる。
何かを私と兄に言おうと必死に口を開くが、うまく言葉にならないのか思案している。
その内、皮肉なのか「やっぱりジェイドの妹なんですね」と呟いて口を閉じてしまう。
その通りとでもいうかのように私が笑うと、ぐたりっとうなだれる。
そして、変わりとでもいうように、兄が口を開いた。
「気づいてましたか」
「ええ、前に聞いた印象とぴったりだから」
「おや、何かいいましたっけ?」
とぼけるような兄の言葉に、青年は不信そうな瞳を向ける。
どんなことを言われたのか気になったのだろう。
兄の性格から悪いことでも吹き込まれたのではないかという目で見ていた。
ほほえましくなって思わずほほが緩むと、何かを勘違いしたのだろう、落ち込んだように俯く。
その姿を、兄はとても穏やかな瞳で見ていた。
慈しむように、愛おしむように。
「本当に紹介してくれるなんて思わなかったわ」
その視線だけで、兄がどれだけ彼を大切にしているかわかった。
「酷いですね。私が貴方との約束を破ったことがありましたか?」
「ええ、何度も」
兄は苦笑する。
そう、何度も破られた約束。
果たされなかった思い。
過去はそんなもので溢れていた。
「だけど、今回は守ってもらえて、嬉しかった」
なんとなく、素直に出た台詞。
驚いたような兄の顔に、私は笑った。
「ジェイドは、嘘吐きだからな」
そこへ、彼はごまかすように茶々をいれた。
兄はわざとらしく肩をすくめる。
「おや、私程の正直者はいませんよ」
「……本気で言ってるならたいしたもんだよ」
その瞬間、彼は笑った。
(――真夏に咲く花のような)
眩しいと、錯覚した。
本当に、眩しい訳ではなかった。
しかし、思わず目を細め、目を覆ってしまいたい衝動にかられる。
それほど、彼の笑顔は眩い。
そういえばさっきまで緊張していた彼は笑顔を見せてはいない。
初めて見た彼の笑顔は、兄の言った通りの感覚を私に思わせた。
未だ、見たことのない真夏の花。
それを、思わせる。
なるほどっと、確信した。
「ネフリーも何か言ってやってください」
思考が打ち切られる。
曖昧に笑って濁せば会話は続いた。
世間話にも近い取り止めのない会話だった。
時折私が質問し、それに彼は答える。
彼が笑えば、兄も笑う。
それは、見ているだけで微笑ましくなるほど穏やかな時間。
長くは続かない時間だとはわかっていても、ずっと続けばいいと思った。
「もう、こんな時間ですか」
兄が、時計を見て呟く。
見れば、時計の針は思ったよりも早く進み、時間の終わりを告げていた。
「そろそろお暇させていただきます」
ひどく名残惜しい中、兄が立ち上がり、彼が軽く会釈する。
私も会釈で返し、2人の背中を見つめた。
「ガイラルディアさん」
見送るつもりが、いつのまにかその彼の腕をとり、引き止めた。
彼は嫌な顔一つせず、どうしたんですか? と笑う。
兄は何かを察したのか、先に外へ出ていると告げ、歩いていく。
「ガイでいいですよ」
「では、ガイさん」
「はい」
「兄のことを」
自分でも、何を言っているかよくわからなかった。
それは、本当に衝動的で、自分らしくない。
「兄のことを好きですか?」
一瞬、彼は目を見開いた。
それと同時に、自分が口走った言葉にも驚く。
「はい」
驚きながらも、彼は即答した。
即答してすぐ、顔を赤くし、何を言ってるのだとうめく。
しかし、それは私のセリフだった。
こんな、自分よりも10も年下の青年を捕まえて。
それでも、口は止まらず、彼に言葉を告げる。
「兄を、愛してあげてください」
しかし、彼はその表情を柔らかいものに変えた。
笑み、優しく、慈愛にあふれた笑みで、答える。
「はい」
真夏の花が、そこにあった。
初めて見せた笑みよりも強い印象。
その花は、きっと、それはケテルブルグ咲く小さな花ではない、大輪の花なのだろう。
見たことがなくても、わかる。
あの、遠くへ行ってしまった幼馴染によく似た、しかし違う笑顔。
「俺は、ジェイドを愛します」
そう、約束した。
私は、なぜか酷く安堵し、手を離す。
ああ、兄が好きになった人が、この人でよかったと。
「兄は」
私も思わず笑う。
「兄は、貴方のことを真夏に咲く花のようだと言ったんですよ」
もう一度、真夏の花が常冬の国に咲いた。
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偽晴花さんにリクエストをしまして頂きました〜v
「ネフリーにガイを紹介するジェイドの話」だったんですが、
こ、こんなに素晴らしい小説をいただけるなんて…!
本当に感激ですっ!
はうぅ〜…v
相変わらず美しい文章で…v
私もいつかこんな綺麗な小説を書いてみたいっ!(絶対無理)
偽晴花さん、本当に有難うございました〜!!!