その感情は苦く、甘く

 

それはある日の昼下がりの事だった。
美味しそうな赤ワインが珍しく手に入ったのでガイと二人で飲もうと考えた。
恋人という関係でありながら、お互いの仕事が忙しく、
ゆっくりと二人で過ごす時間がない、彼と。

…まぁ、ほとんんど私の所為なのですが。

最近も自分の仕事が立て込んでいた所為で二人で会う時間もなかったので
今日こそはゆっくりと二人で過ごそうと思った。

彼は言葉や態度には出さないが、きっと寂しがっているだろうから。

ああ、そうだ。
彼にこの赤ワインに合う料理を作ってもらおう。




ガイは料理が上手い。
ジェイドはガイの料理が好きだった。
二人っきりの時、食事はどうするか、という話題になると必ずと言って良い程
ジェイドはガイに食事を作ってくれるよう頼んだ。
ガイはそれにいつも苦笑しつつも作ってくれた。
自分は嫌いなのにジェイドが好きだからと、豆腐を使った料理をよく作ってくれる。
最近、少し食べれるようになったんだ、と嬉しそうに話をしていたガイを思い出し、
ジェイドは少し笑った。




今の時間ならガイはきっと中庭でブウサギの散歩中だろう。
ガイを誘う為に中庭へと向かう。
久しぶりに二人で過ごせると思うと、自然と口元に笑みが浮かんだ。



















「ガイ」

「ジェイド」
中庭では予想通りブウサギの散歩をしているガイがいた。
ガイはジェイドに気付くと小走りで此方に来る。
その後をブウサギ達が待って、と言わんばかりに追う。
「どうしたんだ?ジェイド。なんか上機嫌みたいだけど」
それににっこりと笑みを返す。
「おや、わかります?実は良い赤ワインが手に入りましてね。お誘いに来たという訳です」
『赤ワイン』という言葉にガイは反応した。
ガイは自分程ではないが酒好きで、旅の間もよく二人で飲んだりもした。
現に今、ガイの目はワインへの期待で輝いている。
「旦那が良いワインって言うくらいだから、かなり良いものなんだろうなぁ…でも仕事が…」
「ええ、わかっています。私もまだ仕事がありますから、そうですね…
今夜、私の部屋に来てもらえますか?ワインを用意して待っていますから」
「ん、わかった」
抱き締めたくなるような満面の笑み。

「あ、ガイ」
再びブウサギを連れて散歩の続きをしようと背を向けたガイを呼び止める。
ガイは振り向いて何?という感じで小首を傾げた。
成人した、しかも男性に対して普通思うことは無いが、その仕草はとても可愛らしい。
「今夜も食事、お願いしますね」
ガイは困ったやつだなという顔で笑ってブウサギの散歩を再開した。
ジェイドも書類が山ほど積んである執務室へ足を向けた。
部屋に戻ればある、山積みの書類も、今夜の事を考えれば苦ではない、と
ジェイドは執務室に続く廊下で堪えきれずに笑みをこぼした。

































仕事を全て終え一時間が経った。
時は既に夜で、外は暗闇に包まれている。
ジェイドは椅子に深く腰をかけ、ガイが来るのを待っていた。
が、いつまで経ってもガイは来ない。
もう既にガイの仕事も終わっている時間だ。

おかしいですね…。

席を立ち、部屋を出る。
ガイがいそうな場所といえば屋敷か宮殿…陛下の私室くらいだ。
約束をしたのに屋敷にいるということはないだろう。
となれば陛下の部屋か…。
陛下はガイの事をかなり気に入っている。

陛下がガイを引き止めている可能性がありますね…」

何故だか嫌な予感がして、早足で陛下の部屋へ向かった。
夜の宮殿は昼と比べて兵士の数も少なく静かで。
その宮殿に入り、そのまま正面にある陛下の部屋へ。
「陛下、入りますよ」

いつもピオニーの部屋に入る時、ジェイドはノックをしない。
けれど今回だけは、中の返答を待っていれば良かったと、

そう、思った。



開かれた扉の向こう側。
その光景にジェイドの動きと思考が止まる。




ガイは其処にいた。
ピオニーに腰を抱かれ、密着し、
「んぅ……んっ…はっ…」

唇を
奪われて。

「…許可を取ってから入るってことを覚えた方がいいぞ。ジェイド」
「…そうですね。肝に命じときますよ」
冷静に対応した自分に正直驚いた。
いや、冷静というよりも何かが冷え切ってしまっているように感じた。


「ジェイド…」


ガイの声は震えていた。
体も小刻みに震え、顔は真っ青で。
普段なら可愛そうに思えるその姿に、
いつもの自分ならすぐさま抱き締めて、「大丈夫ですよ」と安心させようとするのだろうが、
今の自分はそんなガイを見ても苛立ちを覚えるだけだった。

何だというのだ、この苛立ちは。
今まで感じた事の無いこの感情に、更に苛立ちは募る。


ガイをこれ以上、見ていたくなかった。



「お楽しみ中すいませんね。邪魔者だったみたいなので失礼します」
自分でも表情が作れていないことがわかる。
この場にいたらこの訳のわからない感情に振り回されるだけだ。
苛立ちの意味さえわからず、早々にピオニーの部屋から立ち去る。

「ジェイドッ!」

後ろからガイの声が聞こえた。
しかし立ち止まるつもりはない。
自然と早足になっていた。
「ジェイド!」
後ろから突然右腕を掴まれた。
足が、止まる。
「ジェイド…」
掴まれた箇所から彼の震えが伝わってきた。

苛々する

「何の用です?ガイ」
振り返らずに答える。
冷え切った声にガイはビクリと体を振るわせた。
しかし掴んだ手を離そうとはしない。
「いいのですよ?私のことは気にせず、陛下と楽しんでいらしても」
「違うんだジェイド!話を聞い…」
「聞きません」
聞きたくもない。
陛下とガイの話など。
聞いてどうなるというのだ。
先程の光景が嘘になるとでも?
「放してもらえませんか」
ガイは手を放すどころか更に力を強める。


嗚呼、

苛々する。


ゆっくりと息を吐き出す。
体の内の苛立ちを吐き出すように。
しかし、苛立ちは消えるどころか増すばかりで
訳がわからない。

「貴方を見ていると苛々するんですよ。今、貴方といたくない。
わかったなら手を放して下さい」
「……っ!」
手の力が、弱まった。
その隙をみて手を振り払う。
再び歩き出した私にガイは、

追ってくる事は無かった。






























あれから数日が経ったが、苛立ちの原因はわからず、
しかし、ガイを思い浮かべるだけで正体不明の感情に支配され、
何故かガイに会いたくなくて。
ガイからも会いに来ることもなく、会わない日々が過ぎていった。

「お前、いい加減にしろよ」

はっと我に返る。
そうだ、今は執務室で仕事をしていて、そこに陛下がいつもの如くやってきて…

いつの間にか思考がとんでいたようだ。
気付くと目の前には自分を覗き込むような体制で此方を見ている、不機嫌そうな陛下の顔。
「ジェイド、ガイラルディアに会ってこい」

『ガイラルディア』
その言葉に心拍数が上がる。
「何故です」
「あれ以来、すっかり塞ぎ込んでしまってな。いつも通り振舞ってるつもりなんだろうが…
痛々しくて見ていられん。お前が行けばガイラルディアも喜ぶだろう」
「…そもそもこの原因を作ったのは貴方ではないですか。貴方が行けばいいでしょう」
「ガイラルディアをあそこまで落ち込ませたのはお前だろ。それに…」
ピオニーは軽く俯き、悲しそうに顔を歪めた。
こんな表情をするピオニーをジェイドは久しぶりに見た。

ネフリーに切ない恋をしていた、あの時以来だろうか。

「ガイラルディアは俺が行っても、悲しそうに笑うだけだからな」
陛下の表情に、胸が締め付けられるような感覚を覚えた。
しかし、私は。
「…ガイに会いたくないんです。ガイの姿を思い浮かべるだけで何故か苛々してしまって、
もっと酷い言葉を吐いてしまいそうで」

はぁ。
ピオニーが呆れた、というように溜息をつく。
「あのなぁ、お前がヤキモチやくのは勝手だが、このままだとガイラルディアが…」


…は?
今、陛下は何を?


「…やきもち?」
「…お前、気付いてなかったのか…?」
心底驚いたという顔でピオニーは目を見開きジェイドの顔を見た。

この頭の中が焼けそうになるような感覚が
胸が締め付けられるような苛立ちが

『嫉妬』。

「そう、だったんですか…」
この感情の正体を知った瞬間、心の波が治まっていくのを感じた。
今までの苛立ちが嘘のように引いていく。
それと同時に後悔の念に襲われた。

ガイに酷いことをしてしまった。
誰よりも大切な人だというのに。


「陛下…」
「わかっている。今回はガイラルディアの為にも貸しにしといてやるよ。
ただし俺はガイラルディアを諦めたわけじゃないからな」
「それこそわかっていますよ」
後ろを向き、さっさと行けというように陛下は手を振る。

借りを作るのは好きじゃないんですがね…。

しかし今回ばかりはそうは言ってられない。
今すぐにでも彼のもとへ行って
言わなくてはいけない言葉があるから。






































終わりの時が遂にきてしまったと思った。

ガイは屋敷の私室で一人、ベッドに座り片膝を抱いた。

いつか来るとは思っていた。
遠くない未来に。
男同士の恋愛は茨の道だ。
覚悟はしていたつもりだった。
けれどもこんなにも突然訪れるとは思ってもいなかった。

…俺が悪いんだけどな。

クッと喉を鳴らして自嘲する。
自らの意思でしたことではないとはいえ、あれはジェイドへの裏切り行為。
ジェイドが見放すのも当たり前だ。
あれ以来、お互いが避けている所為か、全く会うことがない日々が続いたが、
そろそろジェイドが別れを告げに来るだろう。
その場面を想像し、体が強張った。

嫌だ、そんなのは。
好きな人に別れを告げられるくらいならば、自分から別れを告げた方がいい。
相手の重荷にならないように笑って、何とでもないように振舞って、別れよう。

うん、大丈夫だ。
きっと上手く笑える。

強く拳を握る。
このままお互い避けて、嫌われ続けるくらいなら、以前のような友人関係に戻って
笑いあって話ができる関係がいい。

昔に戻るだけさ。

そう思っているのに、
本当にそう思っている筈なのに、
何かが悲鳴をあげて、心が軋む。

自分はこんなにもジェイドのことが好きなのだ。
別れてでも傍にいたいと思う程に。

胸が
締め付けられる。

「ジェイド…」





コンコン。

「ガイラルディア様、ジェイド・カーティス大佐がお見えになりました」
「っ!」
ノックと共にメイドによって告げられたその言葉に思考が止まる。

来てしまった。

混乱し始めた脳を無理矢理落ち着かせる。
ゆっくりとベッドから降り、一つ深く深呼吸をする。


大丈夫、大丈夫、大丈夫…


開かれる扉。
数日振りに見る

「ガイ…」

愛しい人。

「久しぶりだな、ジェイド」
自分は上手く笑えているだろうか。
ジェイドは僅かに顔を歪め、何か告げようと口を開く。

嫌だ。

ジェイドの口から発せられるであろう言葉を聞きたくない。
好きな人からの別れの言葉を
聞きたくないんだ。
俺はジェイドに言葉を遮るように、声を出す。
「旦那の言いたいことはわかってるよ。当たり前だよな、
あんなの見たら誰だって見放すよな。
今までありがとな、ジェイド。これからはさ、また昔みたいに…」

言葉が、詰まる。

ジェイドの言葉を聞きたくなくて言葉を紡いでいたのが、
何故か止まってしまった。
苦しくて、声が出ない。

そして気付いた。

自分の目から溢れ出るものに。
頬を伝って、床にポタポタと落ちていく。

「あ、れ…?何で…」

笑っていなきゃいけないのに。
笑って別れを告げなくてはいけないのに。
こんな泣いてしまったら、ジェイドを困らせてしまう。

「ごめ…ちょ、待って…」
止めたいのに止まらない。
次々と溢れ出てくる涙。
どうしたら止まるのかわからず、ごしごしと拭う。
それでも涙は止まらない。

「ガイ」

その声に、擦っている手の動きを止めた瞬間、
何かのぬくもりに包まれた。

目の前にジェイドの顔があって、
ジェイドは未だ流れ続けている涙を唇で拭う。
「ジェ、イド?」
「駄目ですね、私は…あなたを泣かせてしまうなんて…」
辛そうにジェイドは顔を歪ませた。
「私は嫉妬していたんです。貴方と陛下が口付けているのを見て。
けれど私は今までまともな恋愛などしたことがなくて、
この感情を嫉妬だと気付かなくて…貴方に酷いことをしてしまった。
許してもらおうだなんて、都合のいいことは言いません。
ただ、謝らせて下さい。

…すみませんでした…」



ジェイドが
嫉妬?

ジェイドがヤキモチをやくなんて思ったことも考えたこともなくて、
俺はきょとんとジェイドを見る。
「なんですか、ガイ」
「いや、なんかジェイドが嫉妬するなんて、想像ができないというか、
繋がらなくて…なんか、その…
嬉しいかも…」

そうだ俺は嬉しいんだ。
ヤキモチをやいてくれたってことは、
俺のことを少しでも好きでいてくれてるってこと、だよな?
そう、思ってもいいんだよな…?


クスっとジェイドが笑った。
そして俺の瞳を吐息がかかるほどの近さで見つめる。
「私はもう、この感情を知ってしまいました。
これからはどんどんヤキモチをやくと思うんで、
覚悟して下さいね、ガイ?」
あ、でももう二度と貴方を泣かせるような事はしませんから安心して下さい。と言って
微笑むジェイドに俺の涙は何時の間にか止まっていた。
代わりに笑みが自然とこぼれ出す。

「望むところだ」

ジェイドが楽しそうに笑った。
つられて俺も笑う。

「ガイ、先日の続き、しましょうか」
「続き?」
「ええ、夕ご飯、作ってくれるんでしょう?」

思い出した。
あの日約束した、赤ワイン。

「ああ。赤ワインに合う、とびっきりの料理、
作ってやるよ」

涙で濡れた顔で笑って、
ガイは厨房へ向かった。







数時間後、二人の間の小さなテーブルには、
ローストビーフと豆腐のサラダ、

そして真っ赤なワインが並んでいた。