その日、俺は気分が沈んでいて、グランコクマの宮殿の広大な中庭で
一人座り込んで考え事をしていた。
何故落ち込んでいたのか、
何を考えていたのか、
今となっては覚えていない。
そんな俺をいつから見ていたのか、ジェイドの旦那が突然現れて
俺の横に座り、四葉のクローバーを差し出した。
「…?」
俺は不思議に思いながらそれを受け取る。
「四葉のクローバーには人を幸せにする力があるそうですよ」
ようするに、落ち込んでいる俺を見て
旦那はわざわざ四葉のクローバーを探してくれたのだろう。
そんなジェイドの姿を想像したら可笑しくなって思わず笑ってしまった。
「旦那って意外とロマンチストなんだな…」
笑いながらそう言えばジェイドも俺につられてか笑い出す。
「そうですよ?私は意外とロマンチストなんですv」


あ。


気付くといつのまにか心が晴れていた。
四葉のクローバーの力なのか、それとも。



それが切欠だった。


俺はジェイドに
恋をした。

 

 

胸締め付けられるような幸せ ―前編―

 

それはブウサギの散歩をしようとブウサギ達に綱をつけていた時だった。
ピオニー陛下に呼び止められた。
散歩の前にこの書類をジェイドに届けてほしい、とのことだった。
そして今、俺はジェイドの執務室へ書類を届けに行く途中だ。
宮殿を出てマルクト軍部へ向かう。
今日もグランコクマはいい天気で流れる水の音が心地良い。
そんな水の音の間に通りすがりの女性の会話が聞こえてきた。
「今年はジェイド様の誕生日プレゼント、何にしようかしらー」
「私はもう買ったわよ。今年はね…」
ジェイドの誕生日?
知らなかった。俺も何かプレゼントしようかな。
とりあえずいつ誕生日なのか聞いてみようと思い、
俺は自然と足を速め、ジェイドの執務室へと向かった。


「ありがとうございます。書類は机の上に適当に置いといて下さい」
執務室に入るといつものようにジェイドは席について大量の書類を捌いていた。
今日はいつもより書類の数が少ないようだ。
いつもは書類なんて置くスペースもない机に余裕をもって書類を置くことが出来た。
「そういえばジェイド、誕生日が近いんだって?いつなんだ?」
俺の言葉に今まで書類を見つめていた赤い瞳が俺を捉える。
心臓が少し、はねた。
「明日ですが…どこで聞いたんですか?」
「書類を持ってくる途中でさ、女性が話しているのを聞いてな」
あぁ、なるほど。そう言うとジェイドは疲れた顔をしてこめかみに中指をあてた。
「困ったものですよ、毎年。あのプレゼントの山を想像しただけで頭が痛くなります」
ジェイドは自慢をしているわけではなく、本当に困っているようだった。
ジェイドが頭を痛めるくらいのプレゼントとはどんなものなのか。
凄く気になる。
「そんな凄いのか?」
「えぇ。書類の山もありますしね。部屋には入りきらないのでいつも執務室の前に山積みにしてますよ」
部屋に入りきらないほどの山積みのプレゼント…。
予想以上だ。
さすが地位が高くて、顔がいい男は違う。
「そんなにか…。けどそれだけのプレゼントどうするんだ?全部きちんと貰ってるのか?」
「まさか。そんなことしたらこの部屋が足の踏み場もなくなってしまいますよ。
殆ど捨てるか、欲しい人間がいたらあげるか、ですね。
…それに本当に好きな人から貰ったもの以外興味ありませんから」
心臓が一際大きな音をたてた。

胸が苦しい。

まるでこの空間の酸素が薄くなったかのようだ。
「す、きな人、いるのか…?」
何故聞いてしまったのだろうか。
動揺しすぎてて頭が回らない。
腕が小刻みに震えているのがわかった。
もし、これで、いますよ、なんて答えが返ってきたら、
俺は、
俺は…







「いますよ」









心臓が止まったかと思った。


体温が一気に下がって、頭がグラグラする。
まっすぐ立っているのかもわからない。
体の震えが止まらない。


「ただその人からプレゼントを貰えるかわかりませんが…ガイ…?」


ほら、ジェイドが心配して声をかけてきた。
これ以上心配をかけさせてはいけない。

自分の想いを悟られてはいけない。

ジェイドに自分の気持ちが悟られないように、
自分自身に言い聞かせるように、
強く両手を握った。
そして精一杯の笑顔を作る。

「そ、うか。今年は好きな人から貰えるといいな」


「ガ、」
「お、俺、ブウサギの散歩があるから、じゃあ!」


ジェイドの言葉を聞きたくなくて。
ジェイドが何を言うのか怖くて。
俺はジェイドが呼び止めようとしたのを聞こえない振りして急いで執務室から出た。
そして走って宮殿へ向かう。


ちゃんと笑えて言えてただろうか。

好きな人の幸せを願っていた筈なのに。
俺はあの時、プレゼントを貰えなければいいのに、と
ジェイドと、顔もしらないジェイドが思いを寄せる相手と上手くいかなければいい、と
そんなことを思ってしまった。

「最低だっ…!」

自分がこんなにも汚い人間だと思わなかった。
好きな人の幸せさえ願えない自分。祝福できない自分。
汚くて醜くて、自分自身に
吐き気さえした。
























気分は最悪だったが、仕事をサボるわけにもいかず、
俺は暗い気分のままブウサギの散歩を済ませた。
散歩している間、頭の中に巡るのは先程のジェイドの言葉。
「好きな人、か・・・」
ジェイドが好きになる人とはどんな人なのだろうか。
きっと自分とは違って外見も心も綺麗な人なんだろう。
考えれば考える程胸が痛み、苦しくなる。
考えたくない。
けれど考えてしまう。
先程のことを考えながらも散歩を済ませたブウサギをピオニー陛下の部屋に戻し、
自分の屋敷へ戻ろうと、フラフラした足取りで歩いていると、
視界の端にピオニー陛下と
今は一番会いたくない人物、


ジェイドが見えた。



二人はこちらに気付いていないようで何やら話し込んでいる。

…ジェイドは俺が見たことのないような表情をしていた。
俺の中のジェイドはいつも人の喰えない笑みを浮かべていて、余裕たっぷりで…。
それが今、彼は眉間に皺を寄せて辛そうな表情をしてピオニーと話をしている。

あの、弱味なんて少しも見せない彼が。
陛下の前ではあんなにもあっさりと弱味を見せるのか。

辛そうなジェイドにピオニー陛下は笑ってジェイドの肩を叩いた。
するとジェイドはさっきまでの辛そうな表情を和らげ、苦笑を浮かべる。





あぁ、そうか。
ジェイドはピオニー陛下の事が好きなのか。





幼馴染で、
この国の王で、
見目美しく、
民を、国を思う強い心を持つ、陛下のことが、ジェイドは…。





絶望した。
自分の恋が成就する可能性の無さに。

ピオニー陛下は素晴らしいお方だ。
確かに少し子供っぽいところがあって、
自由奔放で、人使いも荒いが、
王として、人の上に立つ者として申し分ない、これ以上ないお方だ。
その上、その姿は絵に描いたように美しく、
自分とは比べようもないような、いや、比べるのも失礼な程で。

こんな俺とは、全く違う。

俺はその場にいたくなくて、気付かれないように、
そっとその場から立ち去った。





























屋敷に戻る気もしなくて、
俺はぶらぶらとグランコクマの街を歩いていた。
考えたくもないのに頭に浮かぶのはジェイドの言葉や、
さっきのジェイドと陛下の姿で…
望みのない恋だというのに未だ捨てきれずにいる自分に苦笑する。
今まで色んなものを捨ててきた。
諦めてきた。
なのにこの気持ちは簡単には捨てられず、思考を縛り付ける。

辺りはすっかり暗くなっていた。
店は明かりをつけ、その明かりが水面に映り、
美しい街が更に幻想的に、美しく見えた。
行くあてもなく歩いていくうちに、一軒の音機関の店が目に入った。
古びた、けれども不思議と懐かしさを感じるような店。
「こんなところに音機関の店なんてあったのか…」
少しは気を紛らわせるかもしれない。
そう思い、店の中に足を踏み入れた。
「いらっしゃい」
カランカランとドアに取り付けられた鐘が鳴る。
そしてカウンターの中には店主と思われる白髪のおじいさんが一人。
暖かい笑顔で俺を迎えた。
客はいないようだ。
音機関の独特の匂い。そして無数の歯車が動く音。
棚から壁まで、店の至るところに音機関が所狭しと置かれている。
新しい物から年代の物まであり、置かれている音機関の種類も様々だ。
俺は一つ一つ音機関を見てまわることにした。
見ていく内に不思議と心が落ち着いていく。
様々な音機関を見ていくと、ふと、目が止まった。
視線の先には一つの懐中時計。
年代物のようだった。
決して派手ではない、品の良さを醸し出す装飾。
手に持つと重さが心地良い。
しっかりと針は動き、時を刻んでいた。
「いい時計でしょう?」
いつのまにか時計に意識を奪われていた俺は、店主の声にハッとする。
顔を上げると目の前には店主が笑顔で立っていた。
「今から五十年程前に作られたものでね、
その当時有名だった腕利きの職人が作ったものなんだよ」
どうりで良い品なわけだ。

…ジェイドに似合うだろうな、これ。
ジェイドはいつも分刻みで動いているのに、時計というものを身に付けていない。
…これを誕生日プレゼントとしてジェイドに贈ろう。
そしてそれを最初で最後の贈り物として、
この恋を捨てよう。
プレゼントしても多くのプレゼントと共に捨てられてしまうかもしれないが、
それでもいい。
寧ろ諦めがつく。

俺は手に持っていた懐中時計を店主に渡した。
「これを頂くよ。贈り物なんで、包んでもらえないかな?」
店主はわかりましたと一言いい、懐中時計を丁寧に箱に入れ、包み始める。
それを黙って見ていると、傍らに小さな、手のひらサイズの花瓶があることに気付く。
その花瓶には四葉のクローバーが活けられていた。
「四葉のクローバー…」
ぽつりと、小さな声で呟く。
「ああ、これですか。今日孫が持ってきてくれましてねぇ。あなたに差し上げますよ」
そう言うと花瓶から四葉のクローバーを取り、俺に差し出した。
「え、でも…」
「いいんですよ。なにか辛いことでもおありになったのでしょう?
…あなたに幸せが訪れますように」
そんな分かってしまうような顔をしていたのか。
きっと酷い顔をしていたんだろう。
俺は素直に四葉のクローバーを受け取った。
「…ありがとう」
にこりと、店主は微笑んだ。
「さぁ、出来ましたよ。今度はこれを贈られる方と一緒にいらして下さいね」
俺はその言葉に思わず苦笑した。