温かな光に心は満ち足りる
「ガイラルディア、今日はブウサギの散歩はいいぞ」
「え?」
水の帝都グランコクマ。
今日もグランコクマはいい天気で。
雲一つ無い快晴だ。
しかも気温もちょうどいい感じで。
用が無くとも出掛けたくなるような陽気。
日向ぼっことかしたら気持ち良さそうだなーとブウサギのジェイドを撫でながら
マルクト国皇帝の私室の窓から覗く青空を見ていると、突然先程の一言。
ピオニーに言われた言葉にガイは不思議に思った。
普通ならばこんな良い天気だからこそブウサギ達の散歩、ではないだろうか。
現にブウサギ達は早く外に出たそうにウズウズしているように見える。
新しく入った…不本意ながらガイラルディアと名付けられたまだ仔猫位の大きさの仔ブウサギは
ガイの足にスリスリと頭や体を擦りつけ、ピーピーと高い声で鳴いている。
「散歩はメイドにやらせる」
そんなガイの考えを読んだかのようにピオニーの一言。
ガイはピオニーが何を考えているのか分からず、ピオニーの方を見るが全く考えが読めない。
それもその筈。
何故なら、ピオニーの顔が見えないからだ。
ピオニーは珍しく朝からずっと仕事をしていた。
黙々と書類を読み、サインをし印を押していく。
仕事が山のように溜まっても、ジェイドに仕事をするように嫌味たっぷりで言われた時に渋々やりだす様な人が
今日は自ら仕事をしている。
しかも早い。
ジェイド並みの早さだ。
その初めて見る光景に正直ガイは驚きと戸惑いを隠せないでいた。
「あの、陛下…散歩しなくていいなら俺は何を…」
「弁当」
たった一言。しかも単語。
意味など分かる訳も無く「え?」と聞き返す。
ピオニーのペンを走らせる手は止まらない。
「弁当を作ってくれ。2人分。俺とお前の分だ」
顔も上げずに告げられたその言葉にピオニーが何を考えているのか全く分からなかったが、
それが自分に与えられた仕事ならば、とガイは一言「わかりました」と言って部屋を出た。
部屋を出る時、仔ブウサギのガイラルディアがぽてぽてと必死に付いて来て。
その姿があまりに可愛くて、思わず抱き上げそのまま厨房まで連れて行くことにした。
腕の中でピーピー鳴いて見上げてくる姿はピオニーではないが、本当に可愛くて、
思わず笑みが零れてしまう。
「自分の名前が付いてても結構可愛いもんだなぁ」
ブウサギの頭を撫でながら宮殿の中を歩く。
広いグランコクマの宮殿。
その端に位置する厨房に着くと、ガイは腕の中のガイラルディアをそっと下に降ろした。
何だか踏んでしまいそうで怖いので本当はテーブルやキッチンに乗せたいところなのだが、
何分、ここは料理を作る場所。
幾ら綺麗にしているとはいえ、ブウサギをテーブルの上に乗せたら衛生状態が悪い。
だからといってキッチンに上げたら火や刃物があって危ない。
やっぱり連れて来ない方が良かったか…と思ったが、
ガイラルディアはまだ小さいので散歩には連れて行ってもらえないだろう。
となると残されたガイラルディアは一人寂しくピーピー鳴いて仲間の帰りを待つのだ。
その姿を想像し、可哀想になった。
「まぁ、俺が踏まないように気をつければいい訳だしな」
な?と足元のガイラルディアに問い掛ければピーと返事をした。
それに笑い、踏んでしまわないように注意しながら巨大な冷蔵庫まで移動する。
そしてその冷蔵庫を開け、中を物色する。
偶にピオニーやジェイドが何か作ってくれとせがんでくる事があって、
何回かこの厨房は使った事があるので、大体何処に何があるかはわかる。
膨大な食材の数、そして一般人は滅多にお目にかかる事さえ無いであろう高級食材が溢れる冷蔵庫の中から
使う食材だけをテキパキと取り出していく。
「取り敢えず簡単に出来る煮付けと、卵焼きと…肉系がやっぱり欲しいよな…
よし、ミニハンバーグでも作るか。後はデザートに果物かな」
必要な物を取り出したら冷蔵庫を閉め、キッチンへ。
包丁を握り、手際よく調理を始める。
料理をするのは嫌いではない。
寧ろ好きだと思う。
食べてくれる相手を思いながら料理するのは楽しい。
特にその相手が好きな人ともなれば…
そう考えた途端、頭にピオニーの顔が浮かび、一人赤面する。
「何、思い出しただけで照れてるんだよ、俺…」
自分の乙女思考に思わず笑ってしまう。
そんなガイの様子に、足元にいたガイラルディアは首を傾げた。
気を取り直して弁当作りを開始する。
合挽き肉をボウルに入れ、卵、パン粉を入れて捏ねる。
そして丁度良い大きさにして、いよいよフライパンで焼こうかという時、ふと手を止めた。
「…良い事思いついた」
ニッと笑い、下にいるガイラルディアを見ながら丸いハンバーグのタネの形を変えていく。
そして。
「出来た」
ガイの手にはブウサギの形をした小さいハンバーグ。
それを二つ作って熱したフライパンへ。
ジューと食欲を誘う音と匂いがして、美味しそうに焼けていく。
「耳、取れないかな…」
ブウサギ特有の長い耳が千切れないように慎重に引っ繰り返せば、良い感じの焼き加減。
「よし、これでいいな!」
満足そうに、出来上がったばかりのブウサギハンバーグを弁当箱に入れ、蓋を閉める。
我ながら良い出来だな。
「お、ガイラルディア。もう出来たのか」
聞き慣れた声に厨房の入り口を見ると、先程まで私室で仕事をしていたピオニーが立っていた。
「陛下、仕事は終わったんですか?」
ガイが部屋から出た時にはまだ結構な量の書類があった筈だ。
「おお。俺が本気を出せばあのくらい朝飯前だ」
いつも本気を出していればあんなに仕事は溜まらないのでは…と思ったが口には出さない事にする。
「お、可愛い方のガイラルディア。こんな所にいたのか」
とことこ歩いてきた仔ブウサギを見付けるとピオニーはひょいと持ち上げ、
心配したんだぞ、と言いつつ鼻先にキスをした。
まさに溺愛。
確かに可愛いが、偶に呆気に取られる程の溺愛っぷりは尋常ではない。
特にこの仔ブウサギに対しては。
目の前でハートが飛んでいるのが見えそうな位可愛がっているその光景に
胸のあたりがもやもやムカムカしてくるのに気付く。
「どうした、ガイラルディア。ヤキモチやいたのか?」
「や、妬いてませんよ!」
一気に顔が熱くなる。
「可愛いなぁ、ガイラルディアは」
何時の間にか近くまで来ていたピオニーに頭を撫でられる。
たったそれだけで胸のもやもやもムカムカも消えてしまうんだから、全く単純なものだ。
「よし、弁当も出来たみたいだし、中庭に行くぞ!」
「中庭?」
「ああ。今日は天気が良いからな、外で飯だ。本当は街の外の丘とかで食いたいが、
流石に外には出られんからな」
…もしかして今日、朝からずっと仕事をしていたのは…
「陛下、だから仕事を終わらせる為に朝から…」
「ああ、そうだ。今日の分の仕事はもう終わらせたからな。好きなだけ遊べるぞ。
さ、弁当持って中庭に行くぞ!俺のガイラルディア!」
「…誰も人がいなくても恥ずかしいんで大声で言わないで下さい…」
顔を赤くしてそう言いながらも、本当は嬉しくて。
2人分の弁当を持って、前を歩くピオニーに付いていった。
心地良い風が吹く、色取り取りの花が咲く中庭。
その中心にピオニーとガイは腰を降ろした。
ブウサギのガイラルディアも中庭に放すと、元気一杯に2人の周りを走り出す。
「おー、元気いっぱいだなー」
「はい、陛下。お弁当です」
走り回るガイラルディアを見て微笑むピオニーの目の前に弁当を差し出す。
ピオニーはその弁当を見て、子供のような笑顔を見せた。
「おお、ありがとな、ガイラルディア!よし、一緒に食うぞ!」
ウキウキしながら弁当を開ける姿はとても皇帝には見えなく、宛ら幼い子供の様。
ガイはそんなピオニーを見て思わず微笑んだ。
弁当箱を開けると色取り取りのおかずが目に飛び込んできた。
「お、さすがガイラルディア。美味そうだ。ん?これはブウサギか?」
ピオニーが箸でハンバーグを持ち上げる。
そのハンバーグには長い耳が2本。
「あ、はい。陛下、ブウサギが好きだからブウサギの形に…」
ピオニーに喜んでもらおうと作ったブウサギ型のハンバーグ。
しかし何故かピオニーの眉間には皺が寄っている。
何か気に障るような事があったのだろうか。
しかし、その原因はすぐにわかった。
「…陛下、ブウサギの肉は使ってませんから、ご安心下さい」
「そうか!」
ブウサギの肉を使っていないとわかるや否や、勢いよく食べ始める。
その子供のような姿に思わず笑ってしまう。
「ん?どうした、ガイラルディア。食べないのか?
「いえ、いただきます」
「ごちそうさん。やはりガイラルディアの飯は美味いな!」
「いえいえ、お粗末様でした」
本当に美味しかったようで、ピオニーの弁当箱は見事に綺麗に食べられていた。
ここまで綺麗に食べてもらえると作った者としてはやはり嬉しいもので。
自然と笑みが浮かんでくる。
「ガイラルディア」
「はい?」
弁当箱を片付ける手を止め、ピオニーの方を向く。
その瞬間、唇に温かい感触。
「ん…!?」
目の前には見慣れた、整った顔。
白昼、誰が見てるかもしれない中庭でのキスに、
ガイは距離を取ろうとピオニーの肩を力一杯押した。
ガイの抵抗にピオニーは仕方なく体を離す。
が、あのピオニーが只離れるわけなどなく、唇を離す間際、
ペロリとガイの桃色の唇を舐めた。
「なっ…!」
一瞬でガイの顔は真っ赤になり、驚きと恥ずかしさで声も出ず、口をパクパクさせる。
それを見てピオニーは面白いと言わんばかりに笑っている。
「へ、陛下!ここを何処だと思って…!」
「中庭だが」
「誰かに見られたらどうするんですか!」
「俺は別に構わん」
ああ、そうだった。
そういう人だ、この人は。
思わず溜息が漏れる。
まだ引かない顔の熱に、今更ながらピオニーに見られまいと顔を背けた。
ああ、もう耳まで熱い。
時折柔らかく吹く風が、冷たくて気持ち良く感じるのが自分の体温の高さを物語っていて、
それに気付き更に体温を上げた。
「ガイラルディア」
「なんですか」
ピオニーの呼ぶ声に今度は何だ、と少し警戒心を強めて振り向いた。
「陛下…?」
ピオニーは先程とは打って変わって真剣な顔でガイを見つめていた。
その青い瞳には切なさが滲んでいて、ガイは目が逸らせなかった。
いや、逸らしてはいけない気がした。
「ガイラルディア。お前はずっと傍にいるよな」
普段、全てにおいて自信に満ち溢れている彼からは想像もつかないような弱く、不安そうな声。
「これからもこうして一緒に飯食って、一緒に笑って、隣にいてくれるか?」
その必死ささえ感じる瞳に胸が締め付けられるようだった。
彼は恐れているのだ。
いつかガイが離れていってしまうのではないかと。
いつだって欲しいものは手に入らなかった。
自由も
好きな人も。
心のどこかで、結局何も手に入らないのだと
諦めていた。
しかし、ガイラルディアが現れ、初めて見た時から
手に入れたいと、
どうしても、どうやってでも手に入れたいと、
そう思った。
そして手に入れた。
手に入れた瞬間、今度は失うのが怖くなった。
願わくば
この先ずっと
俺と共に
「俺で良ければ、ずっと一緒にいますよ」
余りにも美し過ぎる程の微笑み。
それはピオニーの心に染み渡るように拡がって。
そうか。
己のこの思いなど、
この青年はとうに気付いていたのか。
どうやら余計な心配だったらしい。
「お前が、いいんだよ」
これから先、共にいるのはガイラルディアでなくては駄目なのだ。
ちゅっと頬に口付けて、草の上に寝転んだ。
降り注ぐ太陽に、眩しくて目を閉じる。
すると柔らかく、温かいものが唇に当てられた。
驚いて目を開ければ、目の前には青い瞳。
「この命尽きるまで、貴方のお傍に」
「じゃあ俺は死ねないな」
本当に全くもって下らない考えだったらしい。
ガイはピオニーの隣に寄り添うように寝転がり、目を閉じた。
「ガイラルディア、こんなとこで寝たらジェイドに見られるぞ」
「別に構わないんでしょう?」
「そうだったな」
笑ってまた目を閉じる。
仔ブウサギが寂しくなったのか、二人の隙間に入り
一緒に寝ようと体を丸める。
降り注ぐ光の中、宮殿の中庭で
二人寄り添って昼寝をする。
そんなある日の昼下がり。