「ピオニー、今日から彼がお前の使用人だ」
それは俺が21歳のある日の事だった。
突然父上に呼ばれ紹介されたのは僅か6歳の少年。
「ガイ・セシルと申します。宜しくお願いします」
歳の割には落ち着いた、しっかりとした物腰の少年は、
まるで昔見た絵に描かれていた天使のようで。
光を反射し、輝く金の髪。美しい青い瞳。
しかしその美しい容姿よりも、俺が目を奪われたのは。
少年の浮かべた笑みとは全く反対の、
氷のように冷え切った、己を突き刺す瞳だった。
憎しみも悲しみも愛で消し去って
「…やはりそうだったか」
「はい。ガイ・セシルはホド島領主ガルディオス家長男、
ガイラルディア・ガラン・ガルディオスにほぼ間違いありません」
高級感のある、しかし決して派手ではない装飾の施された部屋で、ピオニーは椅子に深く腰掛け、
目の前に立つ幼馴染の言葉に耳を傾けていた。
その様子を大きな満月が窓から覗いている。
「となると、復讐が目的か」
「十中八九、そうでしょうね」
ホドを消滅させたのはマルクトだ。
その復讐の為、生き残った領主の息子が名を偽り、ここに潜り込んだと考えるのが妥当である。
目の前の幼馴染はいつものように中指で眼鏡を押し上げ、赤い瞳をピオニーに向ける。
「何を考えているんです?自分の命が狙われている事に気付いていながら
彼をずっと傍に置き続けているなんて」
理解できない、といった顔でピオニーを見下ろす。
「敵はあえて近くに置いた方が安全と言うだろう?それに…」
「それに?」
「あの金色を手放したくなかったんだよ」
今宵輝く、あの満月のような、
美しくも儚い、金色を。
「あとあの瞳もいいな。俺を射貫く氷の瞳だ」
「…貴方がMだったとは、初めて知りましたよ」
「…自分で言うのも何だが、俺はSだぞ」
「そんなの知ってますよ」
幼馴染同士の遠慮の無い会話が続く。
暫くそんなやり取りが続いていたが、それは控えめなノックによって終了した。
「ご就寝の時間ですが…」
ドアが開かれ、ピオニーに就寝時間を知らせたのは、先程まで話題に上っていた少年だった。
「お、もうそんな時間か」
「それでは私は失礼しますよ」
ピオニーに背を向け、部屋から出ようとする。
その時、ジェイドはどこか辛そうに眉を顰め、ガイを見た。
彼を見ていると昔の自分を思い出してしまう。
闇を知り、何かを背負い、大きな目的の為に行動する。
その姿があまりに昔の自分に似ているのだ。
だが決定的に違うものがある。
それは彼がまだ罪を犯していない事だ。
彼を使用人から解けとピオニーに言っても彼は絶対に嫌だと言うだろう。
この少年を傍に置き続けるだろう。
ならば、彼がこの先、罪を犯さず、血に塗れずにいられるかどうかはピオニーにかかっていると言ってもいい。
まだ幼すぎるあの少年がどうか過ちを犯さないようにと。
幼馴染の為、そして自分によく似たあの少年の為、
静かな廊下を歩きながらジェイドは一人祈った。
いそいそと広い豪華なベッドに潜り込むピオニーを確認し、
部屋に戻ろうとガイが背を向けた時、ピオニーに呼び止められる。
「何ですか?」
「こっちに来い」
ピオニーは布団を捲り上げ、自分の隣の空いたスペースをポンポンと叩いている。
「へ…?」
「一緒に寝るぞ、ガイ」
「え、えぇ!?」
声変わりする前の高めの声が部屋に響く。
そのガイの反応にピオニーは満面の笑みを浮かべる。
「何言って…そんなこと無理で」
「いいからさっさと入って来い」
おろおろと困りきり、喋っているガイの腕を掴み、ほぼ無理矢理ベッドに引き込む。
そして逃げないように抱き込み、布団を被った。
「ピ、ピオニー様…!」
「大人しくしろ。俺は眠いんだ、お前も寝ろ、ガイ」
有無を言わせぬその言葉にガイは観念し、暴れるのを止めて目を閉じだ。
それに満足したのか、ピオニーも目を閉じ、寝る体勢に入る。
ガイを抱き締めたまま。
あったかい…。
憎い相手なのに。
殺したい相手なのに。
何故こんなにもこの腕の中は安心するのだろう。
安らぐのだろう。
そのぬくもりに懐かしさを感じ、
ガイはあの悪夢のような出来事以来、
初めて涙を流した。
この自分を抱き締める腕のぬくもりに、
優しさと愛しさを感じた。
そんな自分に戸惑いながらもこの腕の中から離れたくなくて、
ピオニーの広い胸に顔を埋めた。
腕の中で体を震わせて、静かに泣く幼い少年を、
ピオニーは優しく抱き締め続けた。
「御即位、おめでとうございます。ピオニー九世陛下」
「んな堅苦しくなるな。いつも通りにしろ」
荘厳なグランコクマの宮殿の謁見の間。
その玉座に座る、新たな王にガイは跪き、頭を下げていた。
使用人となった時は僅か6歳だった少年は今、18歳の立派な青年になっていた。
美しく成長した彼に、ピオニーは何故か誇らしく感じ、笑みを浮かべる。
宮殿の外からは新たな王の即位に湧き、賑やかな音が謁見の間にも微かに聞こえる。
今日は国中、お祭り騒ぎになっていることだろう。
「ガイ、今日は俺にとって特別な日だが、お前にとっても特別な日なんだぞ」
「え?」
二人しかいない、静かな謁見の間にピオニーの声が響く。
ピオニーの言葉にガイは数回瞬きをした。
何が特別なのか。全く思い付かない。
眉間に皺を寄せ、考え込むガイに、ピオニーは思わず笑ってしまった。
「今日はお前の2度目の誕生日だ、ガイラルディア」
「!!」
ガイラルディア
その名に、ガイはこれ以上ない程目を見開き、ピオニーを見つめた。
「いつから知って…」
声が震える。
体も小刻みに震えていた。
「初めて会った時からなんとなくだが気付いていた。お前が復讐目的に潜り込んだ事もな」
そう言いながらピオニーは優しい目でガイを見つめる。
「ガイラルディア・ガラン・ガルディオス。今をもち、貴殿に爵位を与える」
「…!」
爵位を受け取るという事は復讐を捨て、
永遠の忠誠を主に誓うということに値する。
復讐の為、使用人として潜り込み、傍に居続けたこの12年間。
その長い時の中で、ガイは答えを見つけていた。
「有難く、お受け取り致します…!」
俺は貴方を愛してしまったから。
この12年間の内に、何時の間にか、気付かぬ内に、
その思いは憎しみも悲しみも少しずつ消し去っていって、
俺は偽る事が辛くて、苦しくて仕様が無くて。
けれど、それも今、終わった。
ガイラルディア・ガラン・ガルディオスに戻った瞬間。
それはガイ・セシルの復讐が終わった瞬間だった。
「貴方に永遠の愛を誓います」
氷の瞳は、今のグランコクマの澄み切った空のように
美しく温かい瞳に変わっていた。