己の妹を妹として見れなくなった時、
俺は自分を初めて恐ろしく思った。
自分が7歳の時だった。
墨村家に異変が起きた。
妹が生まれたのだ。
健やかに、元気に育つようにと、女の子にも関わらず『良守』と名付けられた
右手の平に方印を持つ妹は
俺の人生を、生活を、
一気に変えた。
「兄貴、家出るって本当…?」
「お父さんから聞いたのか。ああ、明日出るよ」
夜中、必要最低限のものだけを持っていこうと荷物を纏めていたとき、
部屋を訪ねてきた妹は俺の目の前に座り、俯きながら、
家を出るのか、と聞いてきた。
俺は、良守が生まれてくる前まで、普通の人間だった、と思う。
(異能者だということや、家のことは抜かして、だが)
しかし、妹が生まれてからは方印を持っているその存在に対して、
本当に可愛いと、愛しいと思っているのに、心のどこかで疎ましさや憎しみがあり、
それに気付いてそれを抑え込もうと、心乱され、
今は、髪も短く、態度や言葉使いが男のようだが、愛らしく、成長した妹を見ては抱く、
禁忌の感情に狂いそうになる。
いや、実の妹を抱きたいなどと思ってしまった時点でもう既に狂っているのだ。
これ以上、この家に居ては、いつこの狂気に支配され、妹を押し倒し、犯してしまうか知れない。
そう考えて、心底恐ろしくなった。
だから家を出る決意をした。
まだ理性で狂気を抑えられている間に。
大切な、心から愛しいと思っている妹を自分から守る為に。
家を出よう、そう思った。
「なんで…?何で出るんだよ…」
いつもは自分に対して生意気な口を叩く妹が、心なしか泣きそうな声で聞いてくる。
正直、驚いた。
妹はいつも俺に対して、冷たく、煩わしそうに接していたので、
俺が家を出ることを知っても「ふーん」と興味無さそうに返事するくらいだと思っていた。
それが今、妹は膝の上の拳をぎゅうっと握り締め、俯き、僅かに肩を震わせている。
少しだけ、期待をしてもいいのだろうか…?
「…ちょっと思う所があってね」
妹が、顔をあげる。
大きな瞳には、涙が溜まっていた。
「なんだよ、それ…俺が、正統継承者だから、出てくのか…!?俺が、嫌いだから…!」
その言葉に、また驚く。
狂気を増幅させぬようにと妹になるべく近付かず、関わらないようにしていたのが
どうやら妹には自分を嫌っていると思わせてしまったようだ。
「違うよ」
優しく、小さな頭を撫でる。
さらさらとした髪の毛が気持ちいい。
「嫌いなわけ、ないだろう?
俺はお前の事が好きなんだから」
好きだよ。
誰よりもお前を見ていた。
いつだって想っていた。
愛してるよ、良守。
「ほんとうに…?」
大きな瞳を更に大きくして、見つめてくる。
「ああ。本当だよ」
好き、の意味を恋愛感情だとは思ってもいないだろう妹は、
俺の言葉を聞いた途端、勢いよく抱きついてきた。
突然のことに、後ろに倒れそうになるのをなんとか堪える。
「おれも…俺も兄貴のこと、好きだ…、だから、だから…!」
俺とは違う「好き」だけど、眩暈がするくらい、嬉しかった。
自分のことを嫌っていると思っていた妹は、俺のことを好きで、
家を出て行くと云う俺を、必死に止めようとしている。
…嫌でも期待してしまうではないか…。
「ごめんな…でも必ずまた帰ってくるから。会いに来るから。だから泣くな」
息が出来ないんじゃないかと思うくらい、胸元に顔を押し付けて泣く妹を、
優しく離し、涙を拭ってやる。
それでも次から次へと溢れ出てくる涙を見て、俺はありえない、と思っていた希望が大きくなった気がした。
そして、俺は、俺と一つの賭けをした。
いつになるかはわからないが、多分、数年後になるだろうが、
いつかこの家に帰ってきた時、その時は
俺はこの狂った想いを良守に打ち明けよう。
危険な賭けだ。
負ければ、良守と二度と会う事が出来なくなるだろう。
それでも、僅かだが大きくなった希望を抱き、
この先、何年、何十年と経っても消えそうも無い、この己の感情に区切りを付ける為、
俺は、賭けをした。
「正守…?何考えてるんだ?」
思考が中断される。
布団の中、傍らのぬくもりが動き、目を覗き込まれる。
暗闇だが、僅かな月の光を反射し、黒くて大きな瞳はキラキラと輝いていた。
「んー…?昔した、賭けのこと」
「なんだそりゃ」
わからない、という顔の彼女を抱き寄せる。
お互い裸なので、何の隔たりもなく、直接伝わってくるぬくもりが気持ちいい。
小さな体からは、先程汗をかいたことによっていつもより更に甘い匂いが香る。
「…で、その賭けには勝ったのかよ?」
「ああ、勝ったよ」
軽く、触れるだけの口付けをする。
「愛してるよ、良守」
お返しとばかりに、口付けが返ってくる。
「俺も愛してるよ、正守」
危険な賭け
賭けの勝者は心から望んだものを手に入れた。