右の掌にある黒い四角を見つめながら、いつも俺は思う。
兄貴から、好きだとか、愛してるとか、
そんな言葉を一度も聞いたことが無い。
言って欲しいのか、と言われたら、
言って欲しい気もするが、言って欲しくない気もする。
というのが正直な気持ちで。
何だそれは、と自分でも思ってしまう。
愛の言葉というやつを、兄貴に言われたら、
俺は嬉しいと思うし、この胸を締め付けるようなもやもや感は無くなると思う。
けれど、言われたら言われたで、
本当なんだろうか、嘘じゃないか?と疑って、
その言葉を信じられずに、また悩んでしまうと思う。
そもそも、考えたら、俺自身もそういう言葉を兄貴に言った事が無い。
何故なのか。それは至極簡単だ。
そんな言葉で伝えられるような気持ちではないからだ。
好きだとか、愛してるとか、そんな言葉じゃ伝えられないくらい、
深くて、重くて、いろんなものが混ざり合ってるようなこの感情。
自分でもよくわからないこの感情を、言葉なんかで伝えられる筈がないのだ。
しかも、伝えたところで、兄貴はどう思うのか。
兄貴が俺のことを想ってくれているかもわからないのに、
いや、寧ろ俺を憎んで、嫌っているかもしれないのに、
そんなことを伝えてしまえば
もう二度と、姿を見せなくなってしまうかもしれない。
だから結局、俺は何も兄貴に求めることも、伝えることも出来ずに、
流されるまま、抱かれ続けているのだ。
兄貴が見たくないであろう、右の掌を、決して見せぬようにして。
「上の空」
ちゅっと音をたて、唇に柔らかいものが触れ、離れていった。
「何を考えていたんだ?」
「何も…」
情事後の体はとても汗をかいていて、暫く経った今も渇ききっていない。
布団の中、触れ合った体が酷く熱い。
「最近良守はいつも上の空だな」
耳元で囁かれ、体がびくりと跳ねる。
その反応を見て、兄貴はくすり、と笑い、首筋を舐め上げた。
「ちょ、まっ…!」
制止を訴える俺の言葉を無視して、兄貴は首や鎖骨、二の腕を
次々と吸って痕を残していく。
ちくりとした痛みの後に、その箇所が熱くなっていくような気がして、身震いをした。
兄貴は俺の反応を見て、気を良くしたのか、右手を下の方に持っていき、
起ち上がり始めた熱に触れた。
「あっ…!!」
「もう起ってる。気持ち良いんだ?」
「ちが…!」
兄貴の言葉一つで全身は熱くなって、ビクビクと反応する。
兄貴の手は止まらず、俺自身を握ったまま、上下に扱き始める。
先端から溢れ出てくる体液を掬い、肉棒に擦り付け、また擦る。
ぐちゅぐちゅと、布団の中から聞こえる水音に、俺は耳を塞ぎたくなった。
「いやぁ…っ、あっ、んぅ…!!」
「もっと啼きな?」
容赦なく俺を責め立てる快楽に俺は目の前が白くなっていき、現実が見えなくなっていく。
兄貴は何故、俺を抱くのだろうか?
よく、好きだからSEXをする、とか言うけれど、
誰かが好きじゃなくてもSEXは出来ると言っていた。
気持ちいいから、するんだと。
性欲処理みたいなもんだと。
兄貴もそうなのだろうか?
それならば、愛の言葉なんて、兄貴が言う筈も無い。
だって想っていないのだから。
じゃあ、
じゃあ。
そうだとしたら、俺の気持ちは?
俺の気持ちは何処にいってしまうんだろう。
俺の気持ちは何処に捨てればいいんだろう。
「また何か考えてる」
「あああぁっ!!」
突然、後ろに指を入れられ、その感覚に一気に思考が戻される。
「お前は俺だけを見てればいいんだよ」
見てるよ。
兄貴しか見てないよ。
兄貴のことしか考えてないよ。
兄貴のことしか考えれないよ。
でも
兄貴は?
「あ、あっ、あぅ…っ!」
指はどんどん増やされ、狭い穴の中を掻き混ぜ、
肉壁を擦り上げる。
時折、一番感じるところを爪で引掻いてきて、
体に電気が走ったかのような快感に溺れる。
「もう挿れるぞ」
大きな、ゴツゴツした手が俺の足を持ち上げ、腰を掴む。
指が抜かれて、ヒクヒクと動いている蕾に、
兄貴の熱が宛がわれた。
「っ!」
「力、抜けよ」
「あああぁぁぁああぁ!!」
容赦なく、最奥を突く熱に、俺は声を上げるしかできなかった。
抜ける、ギリギリまで引いて、一気に最奥まで突く。
その度に粘着質な水音と、肉のぶつかり合う乾いた音が部屋に響いた。
奥を突かれる度に快楽が高まっていくのがわかる。
「ああっ、ひっんぅ…っ!」
声が、止まらない。
溢れ出した涙を、快楽の所為にして、
俺は兄貴の背中に爪を立てた。
涙が、止まらない。
どうして止まらないんだ。
目の奥がチカチカとして、
真っ白になっていく。
次の瞬間。
「ひっ、ああぁぁぁ…っ!!」
俺は熱を吐き出し、
内に注がれた熱さに酔った。
「大丈夫か、良守」
「へ、きだ」
暫く荒い呼吸をしていたが、だいぶ落ち着いてきた。
軽い酸欠でグラグラしていた頭も治った。
汗が流れていく感覚が気持ち悪くて、
右手で額を拭う。
すると、その右手首を兄貴に突然掴まれた。
「…?兄貴?」
汗で濡れた右手を、兄貴は引っ張り、
方印を見つめた。
「…!」
油断していた。
慌てて方印を見せぬようにと、手を握ろうとしたら
兄貴の手によって無理矢理広げられる。
「兄貴!?」
兄貴は俺の右の掌を見たくないと思っていた。
だから今まで見せないようにしていたのに、
それとは逆に、今兄貴は自ら掌を広げ、見つめていた。
そしておもむろに。
掌に口付けた。
「え…?」
何度も口付け、時折舐める。
俺はその光景が信じられなかった。
兄貴が俺の方印に口付けるなんて。
目を見開いて、見つめてくる俺を見て、
兄貴は目を細めて笑い、漸く口を離した。
そして、ぎゅっと俺の右手を兄貴の左手が握った。
温かい…。
掌から兄貴の体温と、鼓動が伝わる。
そして。
「…っ」
目の奥が熱くなって、
目の前がぼやけていく。
目尻から涙が伝う。
「良守?どうした?」
慌てている声音に、俺は思わず笑ってしまう。
「なんでもない」
掌から兄貴の想いが伝わってくる。
そっか。
兄貴は言葉なんかじゃなくて、
こうして、全身で想いを伝えてくれていたんだ。
俺は怖くて、本当のことを知るのが怖くて、
それに、目も耳も塞いでて。
気付かなかったんだ。
右手は握られてて、使えないから、
俺は左手で涙を拭って、
兄貴の首に手を回して、
引き寄せて。
俺の想いも伝わればいいと、
口付けた。
重なる手
その日、初めて俺は自分の掌が愛しく思えた。