昼休み、突然スカートのポケットがブルブルと震え出した。
慌ててトイレに駆け込み、ポケットの中身を取り出す。

それは正守がプレゼントしてくれた携帯だった。

携帯を開けば、『墨村 正守』の表示。
少し焦りつつ、通話ボタンを押す。

「もしもし」

『ごめんね、学校なのに突然電話して』

「いや、昼休みだから大丈夫…」

機械越しの声に、先日の光景が蘇り、
少し、胸が苦しくなった。

『良守さ、今日、学校終わった後暇かな?』

「特に用事は無いけど…」

『じゃあ学校終わった後、真直ぐ俺の大学に来てくれないかな?』

「大学に?」

『そう。3階の講義室にいるから。じゃあまた後でね』

「あ、ちょ、待っ…」


切られた電話。
携帯からはツーツーと無機質な音が聞こえる。



「なんなんだろう…」

別れ話、かな。



上がり出した心拍数。
ゆっくりと携帯をポケットに戻した。

 

 

 

 

 

近すぎて見えぬ人
<後編>

 

 

 

 

でかい。
兎も角でかい。

初めて来た大学というものに、戸惑いを隠せない。

自分の通っている学校も中等部と高等部が繋がった校舎の為、かなり大きいが、
大学はそんなの比ではない。

兎も角大きくて広いキャンパス。
沢山の教室。
そして大勢の生徒。

真直ぐ来いと言われたので、本当にそのまま、
制服姿のまま来たのが間違いだった。

周りの大学生からの視線が痛い。

私服姿の大学生の中、一人だけ制服を着た中学生。
目立たずに歩ける筈が無い。


早くこの状況から抜け出したくて、校舎内の図を確認し、
一気に階段を駆け上がる。

その間もすれ違う人達全員が、振り返り、見てきた。

その視線が、痛くて、怖くて、仕様が無かった。
















「3階…講義室…」

やっと辿り着いた教室は見たことがないくらい広くて、立派な教室だった。
入口から頭だけを出して正守を探すが、
沢山の人がいてなかなか見つからない。

中に入って探そうか。
でも、そんな勇気は無い。
大きな声で呼ぼうか。
そんなこと出来る筈が無い。

どうしようかと悩んでいる時だった。

「誰か探してるの?」

話し掛けられ、そちらの方を向く。
背の高い、男の人。
ワックスをつけて茶色の短めの髪を立たせてて、
ピアスをしている。
その人の明るい笑顔が緊張を少し和らげた。

「あ、はい。あの、墨村正守はいますか…?」

突然話し掛けられたので戸惑ったが、
この人に呼んで貰おうと考え、名前を告げた。

「ああ、正守ね。ちょっと待ってて」

どうやら正守の友人のようだ。
ほっ、と安心する。

しかし。

「もしかして、正守の妹さん?」

その一言に、全身が強張った。

今更気付いた。

そうだ、こんな中学校の制服を着て、こんなところに来て。
妹にしか見えないだろう。

なんて、なんて言えばいいんだ。

彼女です、なんて言える訳が無い。


こんな格好で、
こんな場所で、

正守と会う事なんてできない…!



「あの、やっぱりいいです!」



帰ろう。
もう、ここにはいれない。

「あ、君!?」

男の人が制止した声も聞かず、俺は走り出していた。









「何だ、何かあったのか?」

「あ、正守!今妹さんが来てたんだけど」

「…妹?」

「おう。妹さんじゃないのか?何かわかんないけど走って帰っちゃってさ」

「…っ!!こんの馬鹿!!」

「え!え!?俺の所為!?」
























何でここはこんなに広いんだ。

全力で走る中学生の姿は嫌でも目に止まる。


でも、ここから出れば、出さえすれば…!






「良守っ!!」






廊下に響く声。

正守だ。

正守に会いたくなくて、
会えなくて。


スピードを落とさず、そのまま走る。

会えない。
会えるわけが無い。

こんなところで、
正守を知ってる人が大勢いる、こんなところで。



必死になって逃げる、が。
大人の男の人と、まだ中学生の女の子との走る速度はあまりに違いすぎていて。
あっさりと細い腕は正守の大きな手によって掴まれた。



「何で逃げるんだ」

「だって…!」



中学生と大学生の追いかけっこは嫌と言うほど注目を集め、
周りは人の山となっていた。
それを見た正守は良守の手を引き、近くにあった
誰も居ない、比較的小さな部屋に入る。

ドアを閉め、鍵をかけた。



二人だけの、空間。






外のざわめきがドアに遮断されてひどく遠い。
静まり返った空間に良守は居た堪れなくなって俯いた。


「どうして逃げたんだ?」

肩が、ビクと跳ねた。


「ここで、正守に会っちゃいけないと思った…」


ぽつりと告げられた言葉に正守は僅かに眉を顰めた。

「何で」

「俺が、彼女だってバレちゃいけないから…」

徐々に小さくなっていく声。
良守の告白に、正守は溜息を付いた。

耳に届いた正守の溜息。

それだけで目が潤んでいく。



呆れられた。
もう、駄目だ。




「ゴメン、でも、ほら、正守には時音がいるし、俺、迷惑な存在だし」

必死に紡いだ言葉は自分でも何言ってるかわからなくて。
零れないようにと耐えた涙で目の前は揺らいでて。

それでも笑わなきゃ、と無理して笑った。

別れる時は笑顔でって、決めたから。



「時音ちゃん?なんでそこで時音ちゃんが出てくるんだ?」

訝しげに聞いてくる正守に俺はこの前のことを思い出す。

「この前…正守と時音がアクセサリショップに…」

ああ、と何か正守が納得したように呟き、
そして笑った。
俺は突然笑い出した正守にわけがわからず、正守を見つめる。

何かおかしなことを言っただろうか。


「それね、これ、買いに行ってたんだよ」


そう言って右手でポケットを探り出して何か小さなケースを取り出した。
そっと、良守に見せるように開ければ、
中にはピンクシルバーのシンプルな指輪。

「指輪…?」
「そう」

その指輪を取り出して、正守は俺の手を取る。
そして、左手の薬指に、その指輪を嵌めた。


「え…?」
「さすが時音ちゃん。サイズピッタリだな」


嬉しそうに笑って、その指輪に口付けて、
そして俺の唇にも口付けた。


柔らかくて、温かい、口付け。


「今日、何月何日?」

「え、3月14日…」

至近距離で突然問われ、あたふたと答える。
その答えに正守はまた、満足そうに笑った。

「そう。ホワイトデー」

「あ…」

『ホワイトデー』。その単語に俺は全てを理解し、
そしてどうしようもなく恥ずかしくなって。

顔に熱が集まっていく。
きっと今、俺の顔は真っ赤だ。

「指輪をあげようと決めたのはいいんだけど、デザインとかサイズとか全然わからなくてね。
時音ちゃんに協力してもらったってわけ」


全て、俺の勘違い。
涙も引っ込んでしまった。


「ごめん…」

恥ずかしい。
堪らなく恥ずかしい。

正守の顔を見る事ができなかった。


「いいよ。誤解も解けたみたいだしね。
これからもよろしく。俺の彼女さん?」



本日二度目のキスは
とても甘い味がした気がした。





































「…!!!」
「あー、やっぱりなー」

部屋から出てみると、そこは人だかりの山だった。
あっと言う間に正守と良守は囲まれる。

そして。
「おい、正守!その子とはどういう関係なんだよ?」
「この制服、烏森中学だよねー?」
「何何?妹さん?親戚?」

質問攻めの嵐。


「う…」

誤解は解けた。
でもこの問題は終わっていないのだ。


彼女っていうわけにはいかないし…
ここは遠い親戚で済ませておいた方が…






「彼女だよ」








…え…?

ざわつきが、一気に静寂と化す。
恐る恐る、隣に立つ正守に視線を向ける。





「俺の彼女。恋人だよ」




そう言い、事もあろうか。




大勢の人の前で。

キスをした。








「…!!!」









「マジでー!?」
「おい、やるなー!正守ー!!」

静寂から一点、その場は興奮の渦と化した。
盛り上がる群集。
笑って受け答えする、正守。

俺だけがついていけず、呆然と突っ立っていた。
顔を真っ赤にして。


「良守」



優しい笑顔。

正守のその顔が、一番好きなんだ。




「もう、俺の為に気使ったりしなくていいからな」


その言葉に、俺は目を大きくした。

「知ってて…?」


「何と無く、ね。デートも人があまりいないところ選んだり、大変だったろ。
もうそんなことしなくていいぞ。俺は気にしないし、今まで一度も気にした事なんてないから。
だから、これからは堂々と手を繋いで歩こう?」

俺は、良守と一緒に色んなところに行きたいからさ。




正守の言葉に、俺はとうとう涙を流してしまって。
大きく頷いた。


俺が泣いたのを見て、周りが正守を冷やかす声が聞こえる。
その声を聞きながら、俺は帰り何処に行こうか考えていた。



そうだ、あそこに行こう。
この前行った、喫茶店に。

きっと二人で食べればあのケーキも

もっと美味しい筈だから。











左手のピンクシルバーの指輪が
きらり、と光った。