アグライア
〜ガイアは血に塗れる〜








その巨大な光の柱はあまりに美しく、
恐ろしくさえも感じた。
「ここからかなり近いですね。行ってみましょう」
その言葉に自分を除いて全員が光の柱に向かって走り出した。



嫌だ。
行きたくない。

『あの場所には行ってはいけない』



そう強く感じて、俺はその場から動けなかった。
手足が冷たくなっていく。
体温が下がっていくのがわかった。
目を瞑り、下を向く。

一体、何にそんなに怯えているんだ?
あそこに何があるというんだ。

わからない。
わからないけど怖くて仕様が無い。



「ガイ?」
突然の声に驚いて顔を上げる。
目の前には赤い目を細め、心配そうに自分を見つめるジェイドの姿。
「大丈夫ですか?先程も首を押さえていましたし、痛むのですか?」
そう言われて、ついさっき首に走った痛みが全くないことに気付いた。
「い、や…首はもう痛くないから平気だ…ただ…」
「ただ?」

どう説明したらいいのかわからなかった。
当たり前だ。
自分でもわからないのだから人に説明などできるわけがない。
言葉に詰まり、俺はまた下を向いた。

「ガイ」

名前を呼び、ジェイドが俺の手を握った。
そっと両手で冷えた俺の手を温めるように包み込む。
その時初めて自分の手が震えていることに気付いた。

「ジェイド…」
「私はここにいます」


いつだって傍にいますから。


恐怖が引いていく。
体が、温かくなった。


「…もう大丈夫だ。行こう」

完全に恐怖が消えたわけではないけれど
ジェイドがここにいる。
それだけで俺は

前に進めるから。



















もうルーク達は柱のもとに辿り着いているだろう。
早く合流しようと俺達は柱へ向かって走った。

徐々に近付く柱。

心臓がバクバクと音を立てる。
きっと心臓が激しく鳴っているのは走って息が上がっているからだけではない。

柱まであと少し、というところで何かの臭いが鼻を掠めた。

鉄の錆びたような、それでいて生臭いような…

その臭いを俺は知っている。
けれど何なのか思い出せない。
いや、思い出したくないのかもしれない。



頭の中で警鐘が鳴り響く。































ルーク達はそこにいた。
呆然と目の前の光景に立ち竦んで。
不思議に思ってジェイドが近付く。

「どうしました…っ…!」

駆け寄った俺達の目に飛び込んできたもの。
それは


おびただしい数の死体と
一面の血の海だった。





「……っ!!!」





その光景はあまりにも似ていて、
記憶を蘇えらせるには充分だった。

「あ…っ…!」




記憶が

フラッシュバックする








「…この死体は…」
「大佐、何か?」



『キムラスカ軍が攻め込んできました!!』



「これは…失踪したレプリカですね」
「!!それは本当ですの!?」



『マリィベル、ガイラルディアを連れて逃げなさい』
『父上は…』
『私はキムラスカ軍を迎え撃つ。
…いいか、何があっても必ずガイラルディアを守るのだぞ』



「はい、失踪したレプリカの資料の殆どに目を通しましたが、
見た限りここにある死体と特徴が一致しています。間違いないでしょう」



『ガイラルディア様をお守りすることが出来て…光栄です…』



「大佐、この譜陣は…」
「なんでしょうか…血で描いたようにも見えますが…違うようですね。
この譜陣の中央に柱がありますし、この譜陣から柱が生成されたのでしょう」



『ガイ!危ない!』







「あねうえ……。」







視界が

暗くなる。













「兎も角、このことを陛下に伝書で報告して調査員を派遣してもらい…
ガイ!?」

ゆっくりと倒れるガイの体。
ジェイドはその体を素早く支えた。
「ガイ!?どうしたんだ!?」
「…気を失っています」

迂闊だった…

ジェイドは苦虫を噛み潰したような顔をした。
この光景を見た時のガイへの精神的ダメージを考えていなかった。


この光景はまるで

ホド戦争と同じだ…。


気付けなかった自分に対して腹が立つ。
ここにいると、傍にいると言ったのに。
ジェイドはガイを支えるその腕に力を込めた。





































鼻を突く、血の臭い。
吐き気がする。
自分は暗闇の中倒れていて、
早くこの場から離れたくて、起き上がろうとするが、
背中に何かが乗っていて、動けない。
それでも起き上がろうと両手を地面につけ、力を入れると。
「!!」
ヌルっとした感触。
驚いて、目を凝らして手を見る。

「…っ!!」

それは血だった。

その瞬間、周りに一斉に色が付いていく。
恐ろしい光景が目の前に広がった。

一面の血溜まりと死体の山。

昨日まで一緒に笑って話していたメイドが、兵士が、
只の肉塊となって転がっている。
早く、早くこの場から離れたい。
なのに、背中に圧し掛かる重みがそれを邪魔する。
この重みは一体何なのか。
首を捻り、自分の背中にあるものを見た。

重みの正体。
それは



「あ、ね、うえ…?」


血塗れになった姉だった。








































「…イ……ガイ!!」




「…っは、…あ…ジェ、イド…?」
血塗れの紅い世界に代わり、今目の前にあるのは
心配そうに覗き込む、綺麗な赤を持った男の姿。

夢、か…。

さっきの光景が夢だとわかり、体から一気に力が抜けた。
ふかふかのベッドが体を包み込むように受け止める。
「かなり魘されていましたよ」
「そうみたいだな」
体にしっとりとかいた汗がそれを物語っている。
首の汗を手で拭い、上体を起こした。
そして周りを見渡す。

「ここは…」
「ケセドニアの宿屋です」
俺はその言葉に首を傾げた。
「ケセドニア?俺達、ベルケンドにいたんじゃ…」
「はい。そうなんですが、あの柱については陛下に伝書を送りまして調査員を派遣してもらうことにしました。
私達は引き続き事件の調査ということで大量失踪が起きた町、ケセドニアに来たわけです。
…あの死体は失踪したレプリカのようでしたし、もっと調べなくては…」
「そう、だったのか…」
先程の、ベルケンドでの光景が蘇える。
そしてそれはホドの惨劇へと繋がる。
自然と俺は両手を強く握り締めていた。


「すみませんでした…」
「え?」
突然の謝罪の言葉。
俺は意味がわからず聞き返した。
ジェイドを見ると辛そうに顔を歪ませている。
「私は…貴方の傍にいると言っときながら、あの光景を見た時
貴方の精神に与えられるダメージを考えもしなかった。
…正直、情けないです」
ジェイドの言葉に、俺はゆっくりと首を振る。
「いや、いつまでも過去に縛られている俺が悪いのさ。
『昔のことばっか見てても前に進めない』、わかっているのにな」
ルークがかつて俺に言った言葉だ。
今の俺はまさに、その言葉の通りだろう。
過去に捕らわれ、前に進めないでいる。
「過去に縛られているのと、心の傷は違います」
「それでも俺が弱いということは変わらないさ。
…なぁ、ジェイド。俺が本当に強くなるまで、前だけを見ることができるようになるまで、
それまで傍にいてくれないか?」
「貴方は充分強いと思いますが、貴方がそう言うのであれば、傍にいましょう。
貴方自身が強くなったと思う、その時まで、ずっと」
柔らかな笑みを浮かべるジェイドに俺は心の中で誓った。


いつか。いつか強くなったと、自分が思えた時、
俺はジェイドに思いを告げよう。

この8年前から抱き続けている思いを。





















「そういえばガイ、首は大丈夫なのですか?」
ルーク達は町の人々から情報収集しているというのを聞き、
俺達も行かなくては、と脱がされたであろう自分の白い軍服の上着を羽織った時だった。
そう言われて、首に痛みが走ったことを思い出す。
「ああ、そういえばそうだったな。すっかり忘れてた。今は全然痛くないし、大丈夫だと思うぞ」
「念の為、チョーカーを取って見せてもらえますか?」
十字架のついた白いチョーカーを外す。
ジェイドはその外した箇所を見つめる。
「赤くなってますね」
「え?」
俺は部屋の壁に掛けてある鏡を見た。
見ると確かにチョーカーがあった箇所にうっすらと、首を一回りするように赤い痣があった。
「なんだこれ…チョーカーが擦れたのかな…」
「本当に痛くないのですか?」
「ああ」
現に今、触ってみても全く痛くない。
触った感じ、腫れてもいないようだ。
「ちょっと緩く付けちまったのかな。少しきつめに付ければ擦れないし大丈夫だろ」
そう言って俺はチョーカーを首に付け直した。
「外していた方がいいのではないですか?」
「そうなんだろうけど…実はずっと付けていた所為か、外してると落ち着かないんだ」
なんだかそれが恥ずかしくて、俺は下を向いて頭を掻く。
ククッとジェイドが笑っているのが聞こえた。
「…なんだよ」
「いえ、可愛いなーと思ったもので」

「なっ…!」

一気に顔が熱くなるのを感じた。
何か言い返そうと口を開きかけた瞬間、
扉が開き、ルーク達が入ってきた。

「あっ、ガイ!起きたのか!…顔、真っ赤だぞ?もしかして具合悪いのか!?」
心配して駆け寄ってくるルークに俺は「大丈夫だ」と言って頭をぽんぽんと叩いた。
「はっは〜ん。大佐ぁ、駄目ですよ〜?ガイを苛めちゃ」
「何のことやらさっぱりですv」
人聞きの悪いことを…とジェイドは肩を竦めて人の喰えない笑みを浮かべる。
「ところでこんな早く戻ってきたということは何か情報があったということですね」
「そうなんですよ、大佐!」
アニスは真面目な顔になり、ジェイドに報告を始める。
こう見ると21歳で、今や神託の盾を従えるまでの立場の女性だということに
改めて気付かされる。
「30分程前に、大人数のレプリカを連れて歩く男を見た、という人がいたんです」
ジェイドの表情が変わった。
「何故、レプリカだと?」
「その連れられていた人達の中に知り合いのレプリカが何人もいたそうなんです。
ここから南東に向かったそうですよ」
「南東…砂漠ですか。男の後を追いましょう」

急いで宿を出る。
そして町を出てアルビオールに乗り込んだ。



「ノエル、ここから南東に向かって下さい」
「了解です」
浮かび上がる機体。

眼下に一面の砂漠が広がる。

何処だ。
何処にいる。

アニスの話だとかなりの人数らしい。
上から探せばすぐに見つかるだろう。
窓から下を見る俺の隣にジェイドがやってきた。
「ガイ」
その声色で何が言いたいのか、すぐにわかった。
「わかってる。もしかしたらベルケンドと同じことになってるかもしれないってことだろ。
…さっきも言ったけど、俺は強くなりたいんだ。その為にはこれから起きること、
全てを乗り越えていかなくちゃいけない…そんな気がするんだ」
ぽんっと優しく肩を叩かれた。
「わかりました。ただ無理だけはしないように…」

わかってるよ、そう言おうとした時だった。
首に再び走る痛み。

「くっ…!!」
「ガイ!」
首を押さえて蹲る俺にジェイドが慌てた様子で俺の体に触れた。
その時。






聞き覚えのある轟音が
響き渡った。






「皆さん!前方に…!」

ノエルの言葉に全員が前方の窓を見た。
目の前には

あの巨大な光の柱があった。

「ノエル!柱の近くで着陸を!!」
「了解です!」
着陸態勢に入るアルビオール。
振動が体を揺らす。
「ガイ、首は」
「もう痛くない。大丈夫だ」
嘘ではない。
本当に一瞬の痛みだけで、すぐに痛みは引いたのだ。

何だというんだ。

次から次へと起こる出来事に頭は混乱し始める。


「無事着陸しました」
「では、降りましょう」
アルビオールから降りる。
それと同時に砂漠の暑さが襲い掛かる。
そして、

濃い血の臭い。

「またかよ…!」
吐き気が込み上げてくる。
それを堪える為に俺は口を押さえた。
「ガイ…」
ジェイドの手が、口を押さえていない方の手に触れた。
少し、吐き気が引いた気がした。

眼前に広がる地獄絵図。
砂漠は大量の血を吸い、色がどす黒く変わり、無数の死体がその上に転がる。
そして血で描かれたような、赤い譜陣。

体が震え出すのを止められない。


「っ!!ちょっと、あれ!!」
アニスが何かを見て大きな声を上げた。
俺はゆっくりとアニスが指差す方を見る。



「っっ!!」



全員が息を飲んだ。


有り得ない。
こんなことがある筈がない。


言葉が出ない。


アニスが指を指した先にいたのは男、だった。
男は俺達の存在に気付き、こちらに向かって歩き始めた。
はっきりと見えるその姿。
男は血塗れの剣を手に持ち、笑みを浮かべていた。

見覚えのあるその姿は俺達の過去の記憶を揺さぶる。

ティアが泣きそうに顔を歪め、
悲痛な声を上げた。











「兄さんっ…!」













そうだ。この男は。
8年前、俺達の前に立ち塞がり、世界を消そうとした男。













「お久しぶりです、ガイラルディア様。
お会いしたかった」













そして、
かつて俺に剣を捧げた男。














「ヴァンデスデルカ…」












俺はまだ、あの血塗れの悪夢の続きを見ているのだろうか。
そうだというのならば、早く、

覚めてくれ…。