アグライア
〜ディアドラは美しく舞う〜
「ガイラルディア様」
ゆっくりとこっちに近付いてくる。
一歩一歩足を運ぶ度にザクッと砂を踏む音が耳に届く。
俺をまっすぐ見つめるその瞳に
俺は金縛りにあったように動けないでいた。
ヴァンの腕がゆっくりと上げられ、自分に向けられる。
幼い頃は大好きだったヴァンの笑顔が、今は恐ろしく見えた。
「それ以上ガイに近付かないで下さい」
ルークとジェイドが、ヴァンと俺の間に立った。
ジェイドの赤い瞳は細められ、目の前の男を睨み付ける。
ルークの額には汗が流れていた。
「ルークとジェイド・カーティス大佐か…いや、今は少将だったかな」
フッと目の前の男が笑うとジェイドの目は更に細められる。
「成る程…今回の事件、貴方の仕業だったんですね。その左手にある音機関…
それでレプリカを操り、失踪させていたのでしょう」
ジェイドの言葉に、ヴァンの左手を見る。
ヴァンの左手には掌に収まるくらいの小さい音機関が握られていた。
「…俺達の推測は当たってたって訳か…」
声が微かに、震えた。
「ええ、そういうことですね」
「そ、それはどういうことですの?」
ナタリアの言葉は恐らく俺達以外の全員が思っていることだろう。
ジェイドは目の前の男から目を逸らさずに答えた。
「ガイが気を失っている間、失踪は何者かに洗脳、もしくは催眠をかけられた為ではないか、
という話はしましたよね」
「ええ」
「そこで不思議に思ったのが何故レプリカだけなのか、という点でした。
その理由がレプリカにしか催眠がかからなかったと考えれば全ての辻褄が合うんです。
レプリカは体内に多くの第七音素を有している。その第七音素に振動を与え、脳に命令…
催眠をかける振動数をその音機関が発しているのでしょう。
そして催眠をかけられたレプリカは命令通りに動き、街から失踪…。
オリジナルは個人個人で音素が微妙に違う。その分レプリカは第七音素を全員が大量に所持している。
催眠をかけるのに都合が良かったのでしょう」
「ちょっと待てよ、じゃあ第七譜術士はどうなんだよ?それに失踪してないレプリカは?」
ルークがジェイドに視線を移す。
ルークの顔には焦りと不安が見て取れた。
「レプリカはオリジナルに比べて音素が不安定です。振動の影響を受けやすい。
音素が安定しているオリジナル…第七音術士には影響が出なかったのでしょう。
そして音素は常に精神下にある。精神が働いている状態だと音素も安定する。
しかし眠りにつけば勿論精神も眠り、音素は不安定になる。
レプリカが夜中に失踪していたのはその為でしょう。
その証拠にその時間起きていたレプリカは失踪していません」
「だからあの時、その時間レプリカ達は起きていたか聞いたんですね」
ティアの言葉にジェイドは頷く。
「全くもって恐ろしい技術です。今の音機関技術の一歩も二歩も先を行っている。
…貴方が作ったのですか?」
その問いにヴァンは笑みを浮かべながら首を振った。
「いや、これはエルトリア様が作ったものだ」
『エルトリア』
「…そのエルトリアというのが首謀者ですか」
ヴァンは笑みを深くした。
「そうだ。私は今、エルトリア様の目的の為、動いている」
『エルトリア』
古代イスパニア語で『全てを統べる者』の意。
「随分ご大層な名前だな」
嫌な汗が伝う。
震えそうになる声を無理矢理押さえ、努めて冷静に言った。
それに気付いたのか、ヴァンはその笑みをこちらに向ける。
「ガイラルディア様、エルトリア様はその名の通り、行く行くは全てを統べるお方なのですよ」
何を言っているのだろうか。
正気で言っているのか。
全てを統べる等と。
俺は眉を顰めた。
「…貴方方の目的は?」
「言えぬ」
「何故レプリカを攫い、殺しているんです?この光の柱と関係が?」
ヴァンは軽く息を吐いた。
「あまり他言はするなとエルトリア様から言われているが…このぐらいはよかろう。
レプリカ共は『封印』を解く為の『贄』よ。そして光の柱は『封印』を解いた『証』だ」
『封印』?
わからない。
わからないが背中に悪寒が走った。
嫌な予感と不安がどんどん膨らむ一方で、
額から汗が流れた。
「ガイラルディア様」
名前を呼ばれた。
優しい声色で、
いとおしむような目で見つめて。
そんな優しい声で俺を呼ばないでくれ。
昔を思い出してしまうから。
ヴァンデスデルカが大好きで、いつも一緒にいたいと願っていた、
あの頃を。
『ヴァンデスデルカ』
『はい、なんでしょう。ガイラルディア様』
一面の草原、小さな花が咲くその草原の中にある一本の大きな木。
その下でヴァンデスデルカは小さな俺を包み込むように後ろから抱き、
背を木に凭れさせている。
『ヴァンデスデルカはずっと俺の傍にいてくれる?』
頭だけ後ろに向けてヴァンを見つめながらそう言えば、ヴァンは温かい笑顔で見つめかえす。
『勿論です、ガイラルディア様。私はずっと貴方のお傍におりましょう』
それを聞いた俺は、嬉しくてぎゅっとヴァンに抱きつく。
『えへへ、ヴァンデスデルカ大好き!』
『私もですよ。ガイラルディア様』
ヴァンは優しく抱き返して、俺の髪をそっと梳く。
それが温かくて、気持ちよくて、段々と眠くなってくる。
『眠いのですか?』
『うん…ヴァンデスデルカ、お歌歌って?ヴァンデスデルカの歌、凄い好きなの』
『わかりました。貴方様がお眠りになるまで、私が歌いましょう』
綺麗な旋律、優しい声、
温かい笑顔、大きな手
全部大好きだった。
ずっと一緒にいられると思っていた。
いつから違えてしまったのだろう。
いや、最初から違えていたのか。
只、はっきりと判っている事は、
俺は、差し伸べられた手を取らなかったということ。
自らの意思で、好きだった人の敵となったということ。
そして
その好きだった人に剣を向け、
そしてその人を切ったということ。
5年経った今でも覚えている。
あの肉を切った生々しい感触。
ヴァン、本当はお前を助けたかったんだ。
ヴァン、本当はずっと一緒にいたかったんだ。
俺を縛り付けている過去はホドだけじゃない。
お前もそうなんだよ…ヴァンデスデルカ…。
「ガイラルディア様」
昔と同じように笑い、あの時と同じように手を差し伸べてくる。
やめてくれ。
やめてくれ、ヴァン。
「私と共に来て下さい。私達には貴方様の力が必要なのです」
ああ、お前は残酷だな、ヴァンデスデルカ。
お前が何をしようとしているのかは分からないが、
とてつもなく恐ろしい事に手を染めていることはわかる。
俺はお前の手を取れないよ、
ヴァンデスデルカ…。
「…断る。お前とは、行けない」
またお前は俺と違えるんだな。
またお前は俺にこんな苦しい思いをさせるんだな。
本当に…残酷だよ…。
「そうですか…」
ヴァンは悲しそうに顔を歪める。
お願いだからそんな顔をしないでくれ。
その手を取ってしまいそうになるから。
「ぐあぁぁっ…!!」
「ガイ!?」
突然だった。
また首に走る痛み。
あまりの痛みに首を押さえ、砂に膝をつく。
前より痛みが増してる…!
そして遠くから聞こえる爆発音にも似た音。
「またかよ…!」
「あれは…グランコクマの西にある島、ですか」
遥か向こうに見える光の柱。
それは目の前にあるものと同じだった。
「エルトリア様だ…」
ヴァンが呟く。
「え…?」
「あの柱はエルトリア様が出したものだ。…これで三本目だな」
ヴァンの視線が柱からこちらに移る。
「またお迎えに上がります。ガイラルディア様、本日はこれで…」
いつからいたのか、ヴァンは後ろにいる巨大な鳥に跨った。
「ヴァンデスデルカ」
いつもと同じく首の痛みは一瞬で引いた。
男の名を呼び、俺はゆっくりと立ち上がる。
そしてずっと思っていたこと、恐らくここにいる全員が思っているであろうことを口にした。
「お前は…本当にあのヴァンデスデルカなのか?」
目の前の男は数秒目を閉じ、口を開いた。
「エルトリア様は私をヴァンデスデルカとお呼びになる。
そして私は『記憶』を持っている。
ならば私は『ヴァンデスデルカ』であろう?」
鳥が羽ばたいた。
周りの砂が舞い、ヴァンを乗せた鳥が宙に浮く。
「兄さんっ!!」
「メシュティアリカ、また会おう」
その言葉と同時に鳥は高度を上げ、ヴァンの姿はあっという間に見えなくなった。
無数の死体と巨大な光の柱を残して。
「ヤバイことになりましたよ…全員アルビオールに乗って下さい。
急いで陛下に報告しなくては…ティア、ガイ、大丈夫ですか?」
「え、ええ。大丈夫です」
「俺も大丈夫だよ」
ティアの顔は真っ青だった。
目も心なしか潤んでいるように見える。
当然だ。
死んだ筈の兄が再び目の前に現れ、
また何か恐ろしいことをしようとしているのだ。
きっと俺なんかよりもずっとショックを受けている。
なのに、あの戦いの時のように自分は平気なのだと、平静を装っている。
アルビオールに乗ろうとしているティアの後姿を見つめ、
俺は胸を痛めた。
アルビオールはすぐにグランコクマに向けて飛び立った。
重い雰囲気が船内を包む。
そんな中、ジェイドが俺の方を叩いた。
「ガイ、少し宜しいですか?」
「?ああ」
ジェイドに連れられるままに部屋を出て、隣の小さな部屋に入る。
簡易ベッドと椅子、テーブル、そして壁に鏡が取り付けられているだけの簡素な部屋だ。
「ジェイド、どうしたんだ?いきなり…」
「ガイ、チョーカーをもう一度外して頂けませんか?」
「あ、ああ。わかった」
また首に痛みが走ったのを見て、心配しているのだろうか。
ジェイドが何を考えているのか分からないまま、言われるがままにチョーカーを外す。
「…!」
「…?ジェイド?」
ジェイドは俺の首を見て目を見開く。
ここまで驚く姿を見たのは初めてかもしれない。
「ガイ、鏡を見てみなさい」
ジェイドに言われ、近くにあった鏡を見た。
映し出される自分。
そしてその首には…
「っ何だこれ…!!」
「わかりません。ですが只の痣ではないことは確かですね。
このことも陛下に報告しましょう。精密検査も受けた方がいいですね」
「わかった…」
普段ならば大袈裟な、で済ますのだろうが、この首を見たらそんなことも言えない。
深刻な顔をして俺の首にチョーカーを付け直すジェイドを見て、
俺の中の不安が大きくなっていくのを感じた。
「…成る程な」
グランコクマの荘厳な謁見の間で俺達はピオニー陛下に一連の報告をした。
ピオニーはその秀麗な顔を険しくし、深く息を吐く。
「ヴァンデスデルカがまたも現れるとはな…」
頭が痛いと言わんばかりにこめかみを指で抑える。
「陛下、それともう一つ報告したいことがあるのですが…ガイ」
ジェイドの言葉に頷き、俺はチョーカーをゆっくりと外す。
そして露わになる首。
「…!ガイ!どうしたんだよ、その痣!!」
ジェイド以外は始めて見るその首の痣に、全員が驚いた。
ピオニー陛下もあの青い瞳を大きくし、首を凝視している。
皆が見つめるその首には、
見たこともないような模様が赤くはっきりと浮かび上がっていた。
「その模様は…」
「各地に出現している光の柱。その柱が出現する度にガイは首に痛みを感じていた。
そうですよね?ガイ」
「あ、そう言えばそうだな…」
今まで色んな事がありすぎて気付きもしなかったが、思い出してみると
確かに柱の出現直前にいつも首に痛みが走っていた。
「更に一本目の出現時にはうっすらと赤くなっていただけですが、三本出現した今、
はっきりとした模様となって浮かび上がっている。そしてヴァンデスデルカはガイを必要とし、
求めていた。ということは…」
「この一連の事件とガイラルディアは何か関係があるということだな」
「…!」
そんなこと、考え付きもしなかった。
その導き出された結論に俺は驚きを隠せなかった。
まさか、この事件に俺が関係しているだなんて…。
「ふむ、何が目的なのかはわからんが、俺の可愛いガイラルディアを渡すわけにはいかないな…」
「…聞き捨てならない言葉が聞こえたような気がしたんですが」
「本当の事を言っただけだ、気にするな。
…よしジェイド・カーティス少将。
貴公をガイラルディア・ガラン・ガルディオス伯爵の守護者<ガーディアン>に任命する。
何があってもガイラルディアを守れ」
突然真面目な口調になった陛下に対し、
ジェイドも纏う雰囲気をガラリと変え、深々と頭を下げた。
「は。承知致しました。有難く拝命致します」
「ちょ、ちょっと待って下さいっ!そんな俺…!」
俺は勝手に進む話に慌てた。
守ってもらわなくても自分のことぐらい自分で守れる。
それだけの実力をつけてきたつもりだ。
それに態々ジェイドを俺の守護者なんかに…
「ガイ」
ジェイドに呼ばれ、俺の思考はそこで止まった。
ジェイドを、見る。
ジェイドは赤い瞳で俺を見つめていた。
「私に貴方を守らせて下さい。
貴方を奪われるわけにはいかないんです」
その言葉に苦しくなった。
本当はその言葉を『守護者としてのジェイド』からじゃなくて、
『ジェイド自身』から聞きたかったんだ。
嬉しい筈の言葉が
苦しくて仕様がなかった。