アグライア
〜ティシフォネの見る夢〜








「成る程、異常は見られなかったという訳ですね」
「ああ。模様が浮かび上がっているだけで精密検査の結果は異常無し、だ」

ガイが精密検査から戻って来るとジェイド達は軍本部の会議室で世界地図を囲み座っていた。
「でも模様だけ浮かぶなんてなんて変だよなぁ」
「ガイ、本当におかしな所はないの?」
「ああ、全くないよ。大丈夫。有難う」
仲間の心配する声に笑顔で応えながら空いている席、ジェイドの隣のイスに座った。
「で、世界地図なんて広げて、何話してたんだ?」
会議室の机に広げられた大きな世界地図。
その地図は黄ばんでおり、中央にホドが描かれていることからホド戦争以前の地図だということがわかる。
今は既に無いホド島が描かれているその地図を何とも言えない気持ちで見つめた。
「ジェイドが次の柱の出る場所がわかったらしいんだ」
「本当か!」
「わかった訳ではなく、あくまで予測です。本当は確証が無い事は避けたいのですが…
後手後手にまわっている以上そうは言っていられません。先手を打たなくては」
「そうだな。何もしないで相手が動くのを待つよりはいいだろうし」
ジェイドの意見に深く頷く。
もし、その予測が外れていても何もしないよりはマシだ。
それにもし当たっていればこれ以上良い事はない。
「それで大佐、予測というのは…」
「はい、これから説明します」
ジェイドはそう言うとどこからかペンを取り出し、地図に今までの光の柱が出現した場所に印を付けていく。
「まずベルケンドの近く、次にケセドニアの南東、そしてグランコクマの北西の島…
まぁ大体ですがこんなところでしょう」
赤い点が地図の上に三箇所付けられた。
「これで次の場所がわかるのか?」
「ここからは推測です。一連の事件がガイに関係があるとしたら、恐らくガルディオス家、もしくは
ホドにも関係しているのではないかと思いまして。そう考えた上でこことここを繋ぎますと…」
一本目のベルケンド近くの出現箇所と三本目のグランコクマの近くの島の出現箇所をペンで真直ぐ繋げた。

すると。

「!ホドの真上を通りますわ!」
二つの箇所を繋げた線は見事にホド島の真上を通った。

「はい、これは全くの偶然かもしれませんが、ホドを中心として反対側に出現箇所があるとしたら次は…」
二本目の出現場所、ケセドニアの南東からホドへ向けて線を引く。
そしてホドを通過し、ペンが止まった場所は。

「ケテルブルク…!」
「そうです。もしこの推測が当たっているとしたら、次の出現箇所はケテルブルク近辺です」


「カーティス少将!」

バンッと大きな音を立てて突然会議室の扉が開かれた。
そして一人の兵士が慌てた様子で入ってくる。
「お取り込み中、申し訳ありません!」
「いえ、話は終わったので構いませんよ。何です?」
「はっ!つい先程、ケテルブルクのレプリカが大量失踪したとの情報が入りまして…」
全員が瞬時に顔を見合わせた。
「ビンゴ、だな」
「ええ。ケテルブルクに向かいましょう」

街を出てすぐのところに泊めてあるアルビオールに飛び乗り、すぐにケテルブルクへ向けて飛び立つ。
飛び立つ瞬間、ふわりと体が浮く感覚がした。
その後は高度を一定に保ちつつ、ケテルブルクへの針路を取る。
「柱が出る前に阻止出来たらいいのだけども…」
「先程入った連絡ならば、レプリカが失踪したのは昨日の夜ということになりますか…」
「ギリギリですわね」
光に柱が出現するということは、多くのレプリカがまた殺されるということだ。
それだけは阻止したい。
全員がそう思っていた。


しかし、その思いを嘲笑うかのようにそれは現れた。


「ガ、ァッ…!」
「ガイ!」

突然首を押さえ、倒れ込みそうになったガイをジェイドが素早く支える。
ガイの顔は痛みのあまり、血の気が引いてしまって青くなっている。

そしてその直後、アルビオールの中にいるにも関わらず聞こえた轟音。

「まさかもう…!」

「ケテルブルク方面に光の柱出現!」
ノエルのその声にジェイドは小さく舌打ちをした。
「ノエル、最高速度でケテルブルクへ!」
「はい!皆さん、揺れますのでしっかり掴まって下さい!」
痛みがまだ引かないようで未だ呼吸が荒く、力の入らないガイの体をしっかりと抱き締めつつ、
ジェイドはこれからくるであろう揺れに、体に力を入れた。




































アルビオールから降りた瞬間、
眼前に広がる雪の白と血の赤のコントラストに全員の動きが止まった。

僅かに震える体。
ガイは過去に耐えるように震える拳を握り締める。


また間に合わなかった…!









「意外と早かったな」









雪原に響く凛とした声。

目の前の光景を見つめていた全員がその声の聞こえた方を向く。

そこにはヴァンと、
そして黒いフードに包まれた人物が立っていた。

先程の声はヴァンの声ではなかった。
ということはもう一人の人物の声だろう。
その人物は深く黒いフードを被っていて、顔も口元しか見えない。
その口元は笑っているように見えた。
ヴァンより少し低い位の身長と先程の声から男というのはわかった。

二人はゆっくりと、一歩一歩近付いてくる。
そして五メートル程離れた所で止まった。

「貴方は…」



「はじめまして。俺の名前はエルトリア」







『エルトリア』







その名に緊張が走る。



こいつが…

『全てを統べる者』




「では貴方がこの一連の事件の首謀者ですか」
フードの間から見える笑みが深くなる。
「ああ、レプリカを失踪させたのも、この光の柱を出現させてるのも、そして」
ちらっと顔を隣にいるヴァンに向けた。
そして口を開く。



「こいつを作り出したのも俺だよ」






「じゃあ…!」
「こいつは俺が作り出したヴァンデスデルカ・ムスト・フェンデのレプリカだよ」

「そ、んな…でも、私の事を覚えて…」
「記憶のあるレプリカを作り出すなんて造作も無い事だよ」
不可能とまでいわれた記憶を持つレプリカを作り出した事を笑って造作も無い事だと言う、目の前の男。

心の底から恐ろしいと思った。

一気に全身に鳥肌が立つ。

かつて敵となった時、ヴァンデスデルカを恐ろしいと思った。
足が思わず竦むような恐ろしさがあった。

だが、こいつは。

そんな足が竦むとかじゃない、もっと異質な、身の毛が弥立つような、
深い闇のような、得体の知れぬ恐ろしさ。



「…貴方方の目的は何です」
「…そろそろ話してもいいか…俺の目的はこの全世界を統べる王となることだ」

「正気ですか…」
「勿論」

動揺している俺達とは逆に冷静で、いや、寧ろ楽しんでいるように見えた。

「何故そのような事を…!」
「この世界はかつて六人の英雄によって消滅の危機を免れた」

遥か昔の神話を語るような、その言葉が無音の雪原に響く。

「そして二つの国は平和条約を結び、今がある。確かに今は平和だ。
しかし数年後はどうだ?人間は愚かな生き物だ。同じ過ちを何度も繰り返す。
いずれこの平和も破られ、大地全てが血で染まる、そんな時代が来る。それは何故か?
主導者が何人もいるからだよ。一つの国で一人の王に皆が従えば争いは起きない」

諭すように、静かに、けれどもはっきりと紡がれる言葉。
そこにはこの男の強い意志が込められているように思えた。

「そんな事、出来る筈がないわ!」
「出来るんだよ」
ニィと口元が弧を描く。

狂気の
笑み。

「この光の柱と、お前さえいればな!ガイラルディア・ガラン!」
フッと視界から男が消えた
…ように見えた。
時間にしたら一秒も経っていないだろう。
数メートル先にいた男が一瞬で自分の目の前に移動した。

「っ!?」
「遅いぜ?ガイラルディア…」

己の方に伸びる、白い手。

腕を掴まれる!

そう思った瞬間、男は突然後ろへ飛び退いた。
槍を振り翳すジェイドの姿が映る。
「危ない危ない…流石は死霊使い…いや、ガイラルディアの守護者殿?」
「こちらの情報も筒抜けという訳ですか」
フッと笑い、男は背を向けた。


「用は済んだ。行くぞヴァンデスデルカ」
「はっ」
「待てよ!」
ルークの声を無視し、踵を返し、後ろにいた大きな鳥に跨る。
そして黒いフードの男はこちらに顔を向けた。

「ガイラルディアを手に入れるのは次にする。…柱はこれで四本目。あと二本だ。
全ての封印が解かれる前に、俺を止めてみろよ…出来るものなら」

言い終わったと同時に鳥はその巨大な羽を羽ばたき、空へと飛び立った。
空から鳥の羽が舞い落ちる。

「くそっ…!」


さっき、一瞬見えた手。
そして本当に一瞬だったが、目の前に移動してきた時にフードが捲り上がり、
至近距離で見えた顔の下半分。

それは、とても見慣れたものに感じた。



「もしかして、あいつは…」



ぽつりと呟いた俺をジェイドがずっと見ていた事に気付かぬまま、
俺はあの男が去っていった空を見上げ続けていた。







































「今日も結局何もわからず終い、か」
「こればかりは相手に動いてもらうしかないかもしれませんね…」

普段は入る事さえ許されないような特別な二人用の客室をピオニーは三部屋用意した。
ガイは自分の屋敷があるからいいと断ったのだが、何かあったらどうする、との一言で
結局ジェイドと同室となり、今この部屋にいる。

四本目の柱が出現してから二日。
五本目の柱の箇所を探してはいるが、探す手立てもなく、五本目が出るのを待って
そこから六本目の出現箇所を割り出すしかない、という感じだった。
今はすっかり夜も更け、部屋の窓からは夜空に輝く星が見える。

ガイはベッドに座り、精神的な疲れを吐き出すように息を吐いた。
実際、連日の出来事、ヴァンデスデルカとエルトリアの出現など、様々な事で疲れ果てていた。
ぐったりと足を投げ出し、頭を掻く。

「ガイ」

ジェイドがガイの隣に座った。
ギシリとベッドが軋み、ガイの体がその振動で揺れる。
「ジェイド…?」
「ガイ、貴方何か気付いてますね?そしてそれを隠している」
至近距離で全てを見透かすように赤い瞳が己を射貫く。
その美しい瞳に見つめられ、自然と心拍数が上がっていく。
「何言って…」
「隠さないで下さい」
真摯な瞳に思わず目を背けたくなる。



まだ言えない。
確証も何もないのにジェイドに話す訳にはいかない。
それにもしエルトリアの正体が予想している人物だとしたら…

その時は俺が倒しに行かなくてはいけない。

その事を言ったらジェイドはきっと止めるだろう。

だから、ジェイドには言えないのだ。


彼は俺一人で倒さなくてはいけない、人物だから。





「ガイ、隠さないで下さい。隠していては貴方を守れなくなる」

ズクン

針で刺されたような痛みが胸に走った。


ジェイドが俺を守るのは、

それは…

「守護者、だから…」
「え?」

ジェイドの目を見ていれなくて、
目をきつく閉じた。



痛くて痛くて堪らないんだ。

息が出来なくなってしまいそうなくらい。

「ジェイドは俺の守護者だから守ろうとしてるんだろ?
そんなのいらない…俺は自分の身くらい…!」
「違いますっ」

ジェイドの声が聞こえたと同時に両手で顔を包まれる。

驚いて思わず開けてしまった目には真剣な表情をしたジェイドの姿が映った。
普段見ないようなその表情にガイは驚く。

「ジェイド…?」
「私は守護者だから貴方を守りたいのではありません。私自身が貴方を守りたいと、
何があっても守りたいと心から思っているんです」

顔を包んでいる手に僅かに力が入った。
そして徐々に近付いてくるジェイドの顔。

近付いてくるジェイドに何も考えられなかった。

頭が真っ白になる。



気付けば唇が触れ合っていた。



柔らかく、少しかさついた温かいものが唇に触れている。
恐らく数秒の事だったと思う。
けれど俺にはそれはとても長く感じられた。

ゆっくりと離れていく唇。



全く動く事が出来なくて、
俺はどこか辛そうなその赤い瞳を見つめることしか出来なかった。




「好きです、ガイ…」




好き…?
ジェイドが俺の事を…?

今俺は現実世界にいるのだろうか。
あのジェイドが俺の事を好きだなんて。
そんな事が。

呼吸することさえ忘れていたように思う。
ただ、ただ目を見つめることしか出来なくて。
震える喉元からなんとか声を出そうとした、その時だった。



「っ…ぁっ…ガッ…!」
「ガイ!?」



突然首に爪を立てて、ベッドに倒れ込む。
首を掻き毟り、血が出そうな位爪を立て、苦しみ出したガイにジェイドは両手首を掴み、ベッドに縫い付けた。
「ガイ!しっかりして下さい!」
声にならない声が発せられる口の端から唾液が伝い落ちる。

このままでは舌を噛み切ってしまう。

ジェイドはガイの手首を右手だけで一纏めにして押さえ、左手の指をガイの口の中に入れた。
「っつ…!」
ガリッと嫌な音が聞こえた。
ジェイドの指から流れる血がガイの唇を赤く染める。

そして

「…!」

最早聞き慣れてしまった爆音が響く。
部屋の窓からは夜の闇の中、余りに美しく輝く光の柱が見えた。





『俺を止めてみろよ…出来るものなら』







残る柱は後一本