アグライア
〜アテナの心は闇を射る〜
不思議な感覚だった。
赤く輝く譜陣に入った瞬間、光に包まれ、
まるで水の中にいるような浮遊感に
自分は真直ぐ立てているのかもわからない感覚。
この空間を抜けた先にエルトリアがいるのだろう。
決して緊張してるわけでは無いが、
どこか心が波立っていて。
胸元に手をあて、波を落ち着かせようとした、その時。
その手を強く、握られた。
「ジェイド…」
ジェイドが隣に立ち、手を握っている。
赤い瞳が包み込むように、優しく見つめていた。
その瞳から、不思議に思える程、ジェイドの思いが伝わってくる。
心が温かくなって、波が静かになっていくのを感じた。
そうか、俺は可哀相じゃなかったんだ。
消える運命の俺は可哀相ではないんだ。
だってこんなにも俺は愛されているんだから。
こんなにも俺は想われているんだから。
俺は、凄い幸せ者だったんだ。
俺は大きく頷いて、ジェイドに握られている手を、解いた。
そして、心の中で俺は呟く。
逃げたくなるほど痛かったけど、
死にたくなるほど恥ずかしかったけど、
俺がもし、消えなかったら
また抱かれてやってもいいよ。
こんなこと、絶対本人には言えないけれど。
気付かれないように俺は笑って、そして前を向いた。
消えた後の事よりも、
自分が消えない未来の事を考えよう。
そうすれば、俺は前を向ける。
強く、なれる。
嗚呼、俺は、
こんなにも幸せだ。
光が、晴れた。
途端に生温い、けれども心地良い空気が体を包んだ。
例えるならば、体温。
そう、人のぬくもりに包まれているような空気。
そして地面には一面の赤い譜陣。
今までの譜陣とは比べ物にならないほど、巨大な譜陣。
譜陣の周りは光が壁のように上から下へと流れていて、
なんとも不思議な空間だ。
こんなものがホドの中に封印されていたなんて。
首が、熱い。
この地が、早く『ゼロスコア』を唱えろと言っているのだと、
本能で悟った。
「いい場所、だろう」
俺とは対照的に、黒い衣服を身に纏った、
俺と同じ顔をしている男が譜陣の中央に立ち、
俺を見つめていた。
エルトリアと向き合う。
こんなにも静かな心で向き合えたのは初めてだった。
「さぁ、答えを聞かせてもらおうか、ガイラルディア?」
「お前の願いは叶えない。俺は、俺の願いの為に、『ゼロスコア』を唱える」
凛と響く声。
その直後、渇いた笑いが辺りに響いた。
「あはははははは!お前の願い?
何だ?姉さんや父さん、母さんを生き返らせることか?
ヴァンデスデルカを生き返らせることか?ホドを復活させることか!?」
「昔の俺だったら、そう願っただろうな」
そう、以前の俺ならば。
まだ過去に縛られて、前に進めずにいた頃の俺ならば。
でも、今は違う。
エルトリアから視線を外し、隣に立つジェイドを見る。
「ガイ…?」
不思議そうに俺を見るジェイドに俺は笑顔を浮かべ、
またエルトリアへ視線を戻した。
「今の俺は、未来の為に、お前とは違う形でこの世界の為に
この力を使うよ」
過去の為ではなく、
未来を創る為に。
にたり、と黒い、闇のような笑みをエルトリアは浮かべた。
「なら、無理矢理にでも唱えさせるしかないか」
本当に空間と空間を繋げて飛んできたかのようだ。
目の前に突然現れた、エルトリアの笑顔。
「両方の手足を捥いで、苦痛を与えて、
自分から唱えたくさせてやるよっ!!」
「くっ…!」
キィィンと金属音が辺りに木霊する。
瞬時に抜いた剣によってなんとか攻撃を防いだ。
「ガイ!!」
「ルーク、来るな!離れろ!!」
力を込めて、エルトリアを弾き飛ばす。
後ろに飛び、体勢を崩した一瞬を見逃さない。
「『神速ガイラルディア』を舐めるなよ」
自分でも驚いた。
こんなにも早く走れたのかと。
気持ちが高まって、肉体の力をも高めているのだ。
正に一瞬でエルトリアの前に移動し、
剣を振り翳す。
が。
「言っただろ。お前より速いってなぁ!!!」
再び響く金属音。
二人の戦いは、誰も介入できないものだった。
「ガイ…!」
「お止めなさい、ルーク。私達ではあのスピードにはついていけません」
今にも飛び出ていきそうなルークを、
行っても足手纏いになるだけだと言い、宥める。
その唇からは噛みしめ過ぎて血が滲んでいた。
「大佐…」
「無力ですよ…」
本当に。
悔しい。
悔しいけれど、スピードでは敵わないのは事実だ。
けれど、勝たなければいけないのだ。
絶対に勝たなければいけない、戦いなのだ。
スピードで敵わないのならば…。
ほんの少し考えていた所為で僅かに、
本当に僅かだが、ガイのスピードが落ちた。
それをエルトリアが見逃す筈も無い。
「よっわいな、ガイラルディア」
近くでエルトリアの声が聞こえた。
「ガイーーーーーーーっ!!!」
どすっ。
鈍い音が聞こえ、
腹部に刺さった剣がガイの体を貫き、
背中から血に塗れた剣が現れる。
ガイの真っ白い服は
赤に染まっていった。