アグライア
〜アトロポスは静かに瞳を閉じる〜
「やっと、掴まえた…」
「…っ!?」
自分の腹に深く突き刺さった剣を掴む。
決して抜けないように。
エルトリアを逃がさぬように。
「き、さま…まさかこれを狙って…!」
「スピードで敵わないなら、これしかないだろ…!」
痛みに歯を食いしばり、持っていた透き通る剣を後ろに引き、
エルトリアの胸に、深く、突き刺した。
「が、はっ…!」
「…っ」
吐き出される血。
胸を貫かれ、体が後ろに倒れていく。
突き刺した剣がズルリと抜け、赤い血が、
赤い譜陣の上に散った。
エルトリアに刺さった剣は抜かれたが、
ガイの体にはエルトリアの剣が突き刺さったままで。
けれども、ガイはその剣を抜こうとせず、そのままで
倒れたエルトリアの横に立った。
痛みと出血で、足がふらつく。
もう、
力が入らない。
「過去を、見ていたのはお前の方だよ…エルトリア」
静かに吐き出された言葉。
ガイの口からも、血が零れる。
「な、に…?」
もう命が消えかかっているのだろう。
エルトリアの声は殆ど吐息に近いものになっていた。
「ヴァンデスデルカのレプリカを作ったのは…
ヴァンデスデルカに、認めて欲しかったからなんだろう?」
例え、レプリカでも、『ヴァンデスデルカ』に認めて欲しかった。
かつて貴方が捨てたレプリカはこんなにも立派に生きて、
貴方が叶わなかった世界の平和を叶えようとしてます、と。
ガイの言葉にエルトリアは目を見開き、
そして笑った。
「そう、だな…認めて欲しかった、んだろうな…」
昔を思い出すかのように、目を閉じ、そしてまた目を開ける。
青い瞳の中にガイが映し出される。
「ヴァンデスデルカは、もう死んだんだろ…?」
「もう『ヴァンデスデルカ』じゃない。あいつは『フェルディア』だ」
エルトリアが一つ、瞬きをする。
「『自由なる者』か…いい名前を貰ったな、アイツ」
そう言ったエルトリアの顔は今までに見たことがない、
穏やかな笑顔で。
こんな顔も出来たんだな、と思う。
いや、違う。
きっと今のエルトリアこそが、本当の彼なのだ。
穏やかに笑う、彼こそが。
「エルトリア…大丈夫、お前が目指した未来とは違うけれど、
俺がこの世界の平和を、未来を、『創る』から」
だから、もう無理をしなくていい。
自分を追い詰めて、作って、
ヴァンデスデルカに認められることばかり、
世界の平和のことばかり、
考えなくていいから。
だからもう、
何も考えず
眠れ。
確かにこいつは大勢のレプリカを殺すというやってはいけないことをした。
けれど、こいつもまた被害者だったんだ。
皆が皆、被害者で、
皆が皆、傷ついてる。
その皆の願いを、未来を、
俺が引き継ぐよ。
優しく、慈愛に満ちていて、
けれども力強いガイの瞳に、
エルトリアは心からの笑みを溢した。
「頼んだ…ガイラルディア・ガラン」
フェルディアの時と同じように、
体から小さな光が溢れ出ていく。
笑顔のまま瞼を降ろしたエルトリアは
光に包まれて消えていった。
大丈夫。
俺が
未来を創るから。
力の入らない手で、腹部に刺さったままの剣を掴み、
思いっきり引き抜く。
「っっ…!!」
ぼたぼた、と大きな音をたてて、大量の血が地面に落ちる。
誰が見てもわかる。
もう、助からない。
「ガイっ!!!」
「来るなっ!!」
駆け寄ろうとしていた皆の足が、ガイの声で止まる。
「お願いだから…来ないでくれ…」
ゆっくりと、首に巻かれた白いチョーカーを外す。
小さな音をたてて、地面にチョーカーが落とされた。
そして、現れる、首の模様。
ああ、スミマセン、陛下。
貴方の元に帰ることはできなさそうです。
最初から生きて帰ることなどできないとわかっていたけれど、
いざこの瞬間がくると、胸から色々な思いが込み上げてくる。
生きていたかった。
けれど
迷いは、無い。
膝をつき、頭に繰り返し、直接響いてくる言葉に集中する。
恐らく、この言葉が、『ゼロスコア』。
これを唱えれば、
俺の願いは叶えられ、
俺は
消える。
不思議なくらい、
心は穏やかだった。
「…我、ガイラルディア・ガラン・ガルディオス、『ゼロスコア』を引き継ぐ者なりて
この『カムイエルナ』の地にて、『ゼロスコア』を唱えん。
ファイ エル ソウ レイ ラナ セイ…」
俺の願いを
どうか。
どうか、
世界がいつまでも輝いていますように。
人間は確かに何度も何度も同じ事を繰り返す。
きっとまた、いつか戦争をして、
また多くの人の血が流れるだろう。
けれど、人間はそこからまた、学ぶのだ。
人間は過ちを犯し、それを悔い、反省し、成長する。
自由だからこそ、起きるのだ。
いくら過ちを犯さない為とはいえ、願いで束縛してはいけないと、
俺は思う。
『ゼロスコア』で創った争いの無い、束縛された世界は、
きっとモノクロの世界で。
そんなのは本当に望んだ、平和な世界なんかじゃないんだ。
人が過ちを犯しながらも前を見て、
自らの力で創る未来、世界。
それを俺は望む。
そんな輝く未来を、
世界を。
辺りが、眩いほどの光に包まれる。
そして、大地が揺れ始める。
「な、何!?」
「『ゼロスコア』が発動したんだわ…!」
赤い譜陣の中央で膝をつき、下を向いているガイに向かい、
ジェイドは走り出した。
ガイが消えるなんて、
私は耐えられない…!
「ガイっ!!」
ガイまでの距離は、かなりあった。
赤い瞳に、ガイが淡い光に包まれているのが映る。
あれは『ゼロスコア』の光じゃない。
乖離の光だ…!
「ガイっ…!!!!!」
殆ど悲鳴のような、ガイを呼ぶ声が木霊した。
その声に、ガイはゆっくりと顔をあげ、
走ってくるジェイドを見つめた。
そして、本当に綺麗な。
泣いてしまいたくなるほど綺麗な笑顔を浮かべ、
口を開いた。
「ジェイド、愛してるよ」
はっきりと耳に届いた、
初めて聞いた、彼からの愛の言葉。
「ガイ…!」
そんな、笑顔で言わないでください。
まるで、
別れの言葉のような。
ガイの体が薄れていく。
ここでガイを掴まえなければ、本当に消えてしまう。
世界から、ガイがいなくなってしまう…!
「ガイっ…!!」
必死で手を伸ばした。
ガイまであと、ほんの少し。
あと数センチ。
ジェイドの手が、
ガイの腕に触れる瞬間。
ガイは光の中、消えた。
「陛下!!外を、外をご覧下さい!!」
大きな窓から空を見る。
空からは光の粒が降り注いでいた。
それはまるで光の雪のようで。
それはまるで世界を光り輝くものにしようとしてるようで。
「これは一体…陛下…?」
慌てふためく家臣達の中、
マルクトの皇帝は黙ってその光景を見つめていた。
「ガイラルディア…お前か…」
海色の瞳から一筋、涙が伝い落ちた。
「う、そだろ…ガイ…ガイー!!」
「ガイが、ガイが消えちゃった…」
赤い譜陣の上。
ガイがいた場所にはガイの剣と
チョーカーだけが残された。
手が、震える。
体が言う事を聞かない。
ガイが、目の前で、消えていった。
幸せそうに、綺麗な笑顔を浮かべて、
愛してると、そう言って。
私の手は、
肝心なときに届かなかった。
何も、
掴めなかった。
「……っっっっっ…!!!!!!!!!」
ジェイドの慟哭が、
響き渡った。
どこだ、ここは?
光の中に、自分はいた。
自分の体を見ると、透けている。
ああ、そっか。
俺、消えたんだ。
恐らく、肉体は消えたが、
魂はまだ残ってる、といったところだろうか。
残ってるといっても、魂もすぐに消えてしまうのだろうけど。
ふと、消える直前に見た、ジェイドを思い出す。
あんな悲痛な表情のジェイドを見たことがない。
思い出して、胸が苦しくなった。
最後に自分の想い、
伝えられて良かった。
愛してる、
愛してるよ、ジェイド。
どうか、俺の創った世界で、
幸せに生きてくれ。
…?
どこからか歌が聞こえる…。
これは…
譜歌だ。
どこから…。
その瞬間。
後ろから何かに包まれた。
誰かに抱き締められている。
誰…?
後ろに顔を向ける。
そこには。
「フェルディア…?」
薄い栗色の髪に、青い瞳の男。
いや、こいつは。
「ヴァンデスデルカ…」
ふわりと、優しく笑う男に、
俺もまた笑う。
そうか、迎えに来てくれたんだな。
「ヴァンデスデルカ、歌ってくれよ。お前の歌、好きなんだ」
昔見たのと変わらぬ笑みで返事をし、
ヴァンデスデルカはまた歌い始めた。
その歌を聴きながら、ゆっくりと瞳を閉じる。
その歌は、どこまでも優しくて、
ヴァンデスデルカの腕はとても温かかった。